エチオピアの中のイスラーム「歴史的城塞都市 ハラール・ジュゴル(世界遺産)」
帰国も迫り、書こうと思っていた記事を急いで書いています・・・。今回は、「ハラール」という都市について。観光地化されていないイスラームのきれいな町で、のんびりした旅行にはいいところです。
ハラールへ
ハラールはエチオピアでも東の端、アフリカの角に位置していて、ここから隣国ジプチやソマリアに抜けるバックパッカーもいます。
ハラールへは、ディレ・ダワ空港まで飛行機で移動か、首都から長距離バスがあります(バスは安いですが、リスク高いと思います)。
ハラールの歴史
7世紀から11世紀の間につくられ、東アフリカにありながらイスラムの宗教的・文化的中心地となっていたのがハラールという都市。エチオピアの他の都市と異なり、イスラム色が非常に強い。ハラールは16世紀頃までエチオピアとは独立した都市であり、領土を巡る争いに備えるため、「ジュゴル」と呼ばれる5つの門を備えた4mの城壁で周囲を囲っている。
1875年から1885年までエジプトに占領され、その後1887年にエチオピア帝国に併合された。エジプト占領時代にもたらされた文化や作物などもあり、併合までの間、コーヒー・織物・籠細工・農業・独自の貨幣製造などで繁栄した。
第二次エチオピア戦争時には、イタリア軍に占領されていたが、原住民がアムハラ人の侵攻を恐れていたため、イタリア軍の重要拠点としてハラール住民に歓迎されたという話も残っている(民族の話はちょっと複雑です…)。2006年には世界遺産に登録された。
ハラール・ジュゴルで特徴的なカラフルな塗り壁。
エチオピアと宗教
エチオピアはキリスト教が6割、イスラム教が3割の国です。キリスト教のほとんどが独自のエチオピア正教会ですが、プロテスタントとカトリックも多少います。これは公式の数字ですが、実際はもっとイスラム教が多いのではないかという人もいます(国が出しているデータも正確ではないので)。ハラールはイスラム教の割合が多いことで知られます。
ハラールのみどころ
ジョゴル、モスクなど
ジョゴル(ジュゴル)と呼ばれる城壁で囲まれているイスラムの都市(地域)がある。現代的なビルなどの立ち並ぶハラールの町(新市街)にあって、ジュゴル内(旧市街)は白や様々な色で塗られた壁が非常にきれいで、独特の雰囲気がある。内部には87のモスクとマドハネ・アレム大聖堂(1890年にハイレセラシエ皇帝の父ラス・マコーネンが建設)がある。唯一のエチオピア正教会の教会であるマドハネ・アレム大聖堂が、ジュゴルのほぼ中心に建てられたところも興味深い。
ジュゴルの門。それぞれ特徴があった。
アルチュール・ランボー
フランスの詩人のランボーがエジプト占領時代に滞在しており、今でもこの屋敷が残っている。象徴主義の代表的な詩人らしい。
ステンドグラスと内装がきれいなランボーハウス。
イスラム圏で大事にされているからか、きれいな猫が多かった。
2010年 エチオピア新年です。Happy Ethiopian New Year!!
9月11日、エチオピアは2010年になりました(西暦2017年9月11日現在)。もうすぐ滞エチ2年になりますが、未だに不思議な感覚です。
まだ2010なのは何故か?
このブログでも何度か触れてきましたが、エチオピアにはエチオピア暦という独自の暦が使われています。エチオピア正教会とキリスト教の間で、キリスト生誕日の解釈の違いがあるため7年の乖離ができたのです (一般的なキリスト教は西暦0年を、エチオピア正教会は西暦7年を0としている)。エチオピア正教会では9月11日(閏年は12日)がウンコタタシ (እንቁጣጣሽ)と呼ばれる新年の正月にあたります。
エチオピア 新年の過ごし方
エチオピア正月の朝は、少し寒くて、日も登っているのにとても静かで、日本の正月を思い出すような雰囲気でした。商店も閉まり、歩く人も普段の一割くらいだったでしょうか。大晦日の夜は、私の家の敷地では大家さん一族が焚き火をしてその周りを踊りながら回って一晩中騒いでいました。新年の祭は、9月27日(または28日)に行われる「マスカル祭」(十字架挙栄祭) が有名です。正月からこのマスカル祭が終わるまでは、あまり仕事も手に着かず正月の余韻を楽しむようです。ビールに描いてある黄色い花はマスカルフラワー(またはアディ・アベバ;新しい花)といって、9月10月に咲く花でこれもエチオピア人が好きな物の1つです。アディスアベバではまだ咲いていません。
世界の正月
中国の旧正月(太陰暦の1月。西暦1月から2月の付近)は結構有名な話ですね。中国大陸・香港・台灣・韓国・ベトナム・モンゴル・ブルネイや華僑の人が多い国・各国の中華街では、現在でもグレゴリオ暦の正月よりも重要なイベントのようです。また、調べてみると、正教会のうち、ロシア正教会、エルサレム総主教庁、グルジア正教会、セルビア正教会では1月14日が正月となっているようです。さらに、仏教では4月が正月になっているということは初めて知りました。
JICAでも記事になっています。世界には色々な正月があるようです。
世界の「新年」−こんな新年、ご存知ですか?−(前編) | 2015年度 | トピックス | ニュース - JICA
意外と寒いアフリカ〜アディスアベバで雹が降る
帰国まで一ヶ月をきった今日は雹が降りました。エチオピアの雨はスコールの様な勢いで降りますが、トタン屋根に当たると、他の音は何も聞こえなくなります。
排水溝にたまった雹
7mm罫線ノートと比較。15mmを越えるものも。
標高と気温
ここエチオピアは「アフリカ大地溝帯」に位置し、南部から西部は標高1000m以下ですが、それ以外は標高1500m以上の高地になっています。首都アディスアベバに限っては、標高2400mに位置するため、年間平均気温が20℃前後と非常に涼しいです(ちなみに北緯は9度)。アフリカは暑いというイメージですが、エチオピアに来てから首都で半袖で寝たことがほとんどないほど涼しい気候です。基本的にずーと同じ花が咲いていたり、四季がないのは寂しいですが、マラリアがない(1200m以上のため)、運動しても汗をかかない、などいいところもあります。
エチオピアの季節
エチオピアの季節は10月から3月の乾期、6月から9月の雨期に分けられます(首都の場合)。9月になると雨期も明け、エチオピア新年を迎えます。日本でいうと東京の秋くらいの気候がずっと続き、雨が降った日は少し寒くなるという程度です。ただ低緯度のため、日向の日差しは非常に強く、日陰は涼しいです。
ラリベラと日本人/その他ラリベラのこと 「ラリベラの岩窟教会 Hewn-Rock churches in Lalibela」(3/3)
ラリベラと日本人
ラリベラでは「こんにちは」「お元気ですか」「こんばんは」「ようこそラリベラへ」「私の名前は・・・」など日本語で話しかけてくるエチオピア人がいます。最近は中国の建設関係者が多いおかげで前よりは少なくなったのが残念ですが、それでも日本人だと分かると話しかけてきます。私の知る限り、エチオピアで最も日本語を話す地域ではないでしょうか。
それはなぜか。ラリベラで植林活動をしている日本人女性がいるからです。「フー太郎の森基金」という基金で11年間で35万本の植林を行っています。地方部では電気の供給不足により熱源・建築材のために伐採が進み、森林の減少がエチオピア全土の問題となっています。同じように一時期9割の森林を失っていたラリベラの森林を復活させたのもので、現地スタッフの日本人も働いていたといいます。そのおかげで、これほどまでに日本語を話せるエチオピア人が増えたのです。
その他 ラリベラのこと
ヨルダン川の十字架
教会と同じように、川の周囲の岩を掘って十字架を作ってある。
アシェトンマリアム礼拝堂
・11教会から離れ、最も難易度が高いのが、アシェトンマリアムだ。これは3200mの山の上に作られた教会で、イメージとしては11教会よりもティグライの岩窟教会群に近い。
・1000年前に作られ、その当時のゲエズ語で書かれた聖書がある。また、聖人が住んでいた家(洞窟のようなところ)も見せてもらえる。
・昔はロバで3時間という時代もあったらしいが、現在は道が整備され、車(三輪のトゥクトゥクかタクシー)で近くまでいくことが出来る。入場料が別途200ブルかかる。15分程度登ると着くので危険ではないが、雨の後だと厳しい箇所がある。
チケットとガイド
・チケットは11教会の共通券。50ドル(USD)。ブルだとその日のレートで変わる(1200ブル前後)。ビデオだけなぜか別途で料金がかかる。カメラは何も言われない。かなり高いが5日間有効で、11教会すべてに入れるので便利。昔はバックパッカーが何人かで使い回しをしていたようだが、最近になってパスポート番号を書かされるようになったので、不可能になった模様。チケットオフィスはきっちり昼食休憩をとるので、12時から14時は空いていないので注意。同じく教会も昼は司祭がいないことが多いので、おとなしく昼ご飯を食べるのが無難。
・ガイドは空港やチケットオフィス周辺、またホテルに常駐している。もし頼むならホテル常駐の人がいいかもしれない。一応英語が出来る。一日300ブルくらい。ガイドがなくても回れるが、第二グループの入り口が分かりづらいのと、ガイドがいれば司祭がいろいろ聖書や十字架などを見せてくれる場面が多いなど、多少の利点がある。各教会の近くには必ず説明板があるので、ガイドがストレスになるという人はつけなくても良いと思う。
ラリベラのホテルとレストラン
ホテル
Red Rock、Jelsaremはきれいでホットシャワーも出る。Ral hotel and spaは、伝統的なTukulという形の家を模した部屋できれいだが、私が泊まった時はホットシャワーが出なかった。時期によっては寒いかもしれない。
レストラン
Seven Olives、Loha hotel、Ral hotel and spa、Ben abebaなどが美味しい。Seven olivesはインジェラは美味しいがパスタやハンバーガーなどはローカルに近い。Loha Hotelは元政府系ホテルでご飯がおいしい。たぶん部屋もいいけど予約が取りづらい。チキンピカタとFish golush(メニュー外)はオススメ。Ben abebaは坂の上からさらに上にあるスイス人オーナーのレストランで、ご飯も美味しいし眺めがとてもいい。建物が異様に奇抜なので行くだけでも面白いかも。Ral hotelはホットシャワーが出なかったのが残念だが、首都で修行したというシェフの料理はどれも美味しい。
付録:窓の様式
ラリベラ岩窟教会群の窓の形は、ある程度きれいに残っており様式は比較的容易に判別できる。Axum様式とは、アクスム王国の時代に建てられたオベリスクの頂部の形を模している。Golgotha様式はAxum様式の変形。ギリシャ様式はそのまま名前の如く、ギリシャ十字の形をしている。他にも様々な形の窓が掘ってあり、比較するのも面白い。
左からAxum様式 Golgotha様式 ギリシャ様式(2つ)
「ラリベラの岩窟教会 Hewn-Rock churches in Lalibela」(2/3)
Group2(South-east)
第二グループに続きます。ヨルダン川から南にありますが、第一グループと違って入り口が非常に分かりづらい。
1と2、Bet Gabriel and Rufael (Church of Saints Gabriel and Raphael;聖ガブリエル教会、聖ラファエル教会)
外観は1つの教会だが、内部は2つの教会に分かれる。
堀を深くしてあり、要塞や監獄のよう(左)。堀の下には、地下貯水地に続くと思われる井戸が見える。
教会側から見た回廊(上)と回廊側から見た教会(下)。
・入り口は同じだが、2つの部屋に分かれている。橋から向かって左がGabriel、右がRaphael。
・教会は、要塞のような外観で、アクスム様式。元々は教会ではなく、王家の住居か監獄だったとも言われている。
・教会の脇には、天国の階段がある。
・回廊下に見える井戸のようなものの地下には貯水池があるらしい。
・現在は回廊側から橋を渡って教会へ行くことが出来るが、本来の通路ではなく後に作られたもの。元々はAmanuel側からの通路を造る計画やさらに大きな教会を造る計画を記した図面が残っている。
3、Bet Abba Libanos (Church of Abba Libanos;聖アバ・リバノス教会)
Raphaelを正面に見て右手に進んで、裏手に回って行くとLibanosが見えてくる。個々が一番分かりづらい。
・4方は他の教会と同じように掘ってあるが、天井が周囲の岩盤と繋がっているのが特徴。
・靴を脱げば、周囲を回ることが出来る。
LibanousからAmanuelへはこのような回廊や地下通路を通らなければならない。最後は、右下写真の穴をくぐって行く。
4、Bet Amanuel (Church of Saint Emmanuel;聖アマニュエル教会)
・maryamと共に最も古いと言われる教会
・最も美しいとされており、かつて王家の礼拝堂だったと考えられている。
・外壁は、水平と垂直のラインが強調した凹凸が施され、窓の形はアクスム様式。
・教会内部は、身廊と側廊にはアーチ型天井が架かっており、初期キリスト教会の建築様式との共通点が見られる。
・マルコリスと35mのトンネルで繋がっているらしい。
AmanuelからMarkoriosへ続く通路。
5、Bet Merkorios (Church of Saint Mercurios;聖マルコリオス教会)
後ろに見える屋根はアマニュエルのもの。
聖人マルコリオス。黒い馬にまたがって戦う姿が描かれる。敵は様々。
壁画が残るが、目を凝らさないと見えないほどに退色している。
・8本の荒く削られた柱が特徴。
・柱に壁画が残っている。
・この教会の入り口付近には、地下道への入り口がある。本当に暗いので、ライトが必要。この地下道を抜けるとGroup2が終わる。教会群は地下15mに位置するので、礼拝しやすいように地下道で繋がっているらしい。「天国への道」(天井が抜けて空が見える道)や「地獄の道」(地下道となっている)などと呼ばれている。
地下道を抜けると最終的にこのBethlehemの塔に出る。
その後も色々と通って最終的にこの通路から外に出て第二グループが終了。
Group 3
Bet Giyorgis (Saint Giyorgis;聖ギョルギス教会)
第一グループとは道を挟んで反対側に位置する。
高台からのGiyorgis教会。
下から見上げた教会。
聖人ギョルギス。白馬にまたがった姿でドラゴン退治の場面が描かれる。エチオピア正教会では、女性をドラゴンから守った伝説のため、女性が木の上に逃げている姿なども同時に描かれる(他の正教会とは場面の解釈が異なる)
・最も有名で、保存状態がよい。
・12x12mの屋根は三重の十字架がほってある。
・教会内部には柱がなく、十字形の箱のようになっており、「ノアの箱船」を象徴しているともいわれる。
・ヨルダン川北に1つだけ、11教会の中でも離れた場所に作られている。これには言い伝えが残っていて、教会群の建造も終盤に差し掛かっていた頃、ラリベラ王の夢枕にSt.Giyorgis(正教会の聖人)が現れ、「私の教会はどこだ?」と質問し、ラリベラ王が「あなたにふさわしい教会を作りましょう」と約束した後に建造を始めたのがこのSt.giyorgis教会。このような理由で最後に建造したので、1つだけ離れた場所にあると言われている。
・13世紀初めに作られ、最も新しいと考えられている。
・ギリシャ十字、アクスム様式。窓はGolgotha様式に見える。
・親切なことに?、高台に登ると上から見ることが出来る。教会の北西には、岡が見えるが、これは土曜マーケットの会場となっている。
エチオピアが誇る世界遺産 岩窟教会群 「ラリベラの岩窟教会群 Rock-Hewn Churches in Lalibela」(1/3)
世界遺産への登録
「ラリベラの岩窟教会群」はエチオピア北部のラリベラという町にある世界文化遺産。1978年(第2回世界遺産委員会)から登録が始まった世界遺産だが、なんとこのラリベラは最初に登録された12遺産のうちの1つ。ちなみに、「シミエン国立公園」も1978年に登録されており、最初の12遺産のうち2つがエチオピアからの選出だったのは驚きだ。
さらに、1978年に登録見送りされた15件のうち9件がエチオピアの物件で、エチオピアが初期から世界遺産登録に積極的だったことが伺える(AU本部があるので、その影響もなきにしもあらずか?)。現在、文化遺産8と自然遺産1の計9件が登録されており、南アフリカ共和国とモロッコと並んでアフリカで最も世界遺産をもつ国となっている(日本は21件)。
ラリベラの歴史と岩窟教会群
エチオピア北部のアクスム王国(紀元後1世紀〜10世紀頃、現エリトリアを含む紅海南部沿岸に位置)の衰退により、ラリベラ王はロハに遷都を行った。ロハの町は王の名をとって、ラリベラと呼ばれるようになった。イスラム教の拡大により聖地エルサレムへの巡礼が困難になったことからラリベラ王はこの地に「第二のエルサレム」を作ることを決意。その証拠に、ヨルダン川と名付けられた川が流れている。
岩窟教会はエチオピア正教会の巡礼のために12〜13世紀頃に作られ、世界遺産に登録されている岩窟教会群は「11教会」として区別される。全て地面を下方向に掘って完全な建物の形をした教会を作っているMonolithic型(詳しくはティグライの岩窟教会群にかんする記事を参照)。
「11教会」は第一グループ(北西グループ、ヨルダン川北)と第二グループ(南東グループ、ヨルダン川南)、そしてSt.Giyorgis教会(第三グループとも)に分けられる。
Group1 (North-west)
第一グループをチケットオフィスから近い順(道順)に示す。
1、Bet Medhane Alem (Church of the World Saviour;聖救世主教会)
チケットオフィスから最も近い場所にある。
人の大きさと比べるとその大きさが分かる。
・11教会の中でもっとも大きい。33.7 m(l)x 23.5 m(w)x 11.5 m(h)
・アクスムにあるシオンの聖マリア教会を模して造られたとされる
・内部に空の棺が3つあり、聖書に登場するアブラハム・イサグ・ヤコブのものとされている
・内部は28本の柱で支えられている
・19世紀に修復された。その際、外壁を赤色で塗ったが今も北側にその一部が残っている
・非常に貴重な13世紀の書物が発見されている
2、Bet Maryam (Church of Mary;聖マリア教会)
聖救世主教会正面入り口から数mのトンネルを通るとMaryamが見えてくる。
小さいがきれいな教会
・Maryamは聖母マリアの意。13x9x10m。
・12世紀から13世紀に装飾が施された。Group1では唯一色のついた壁画がある
・三つの玄関があり、東側の玄関は動物や花などが掘ってある。双頭のワシが掘られている箇所もある。
・人類発祥と週末を象徴する壁画の柱「Pillar of Light」がある(布が巻いてあるので見られない)
・キリスト昇天、ゴルゴザでの受難、三位一体のフレスコ画などがある
・最も信仰を集めていて、ティムカット祭でも多くの人が集まる
・聖救世主教会からは地下道でつながっているらしい
・プールは子宝を恵むとされていて、女性が水浴びをする
内部は装飾がきれいに残っている(左)。"Pillar of Light"(右)
3、4 Bet Meskel (Church of the Cross;聖十字架教会)、Bet Danagel (Bet Ghel、Church of the Virgins;聖処女教会)
聖十字架教会
Maryamの北側がMeskel、南側がDanagel。Danagelは11教会で最も荒削りな教会。
Danagel側の通路を抜けると、第一グループ最後の教会への道が見えてくる。階段を下りて右手に進む。
5、Bet Debre sina-Mikael (聖ミカエル教会)and Bet Golgotha(聖ゴルゴサ教会)、Sellassie (Trinity;三位一体教会) Chapel
正面の立方体の形をしているのがMikael教会。この裏にGolgothaとSellassie教会があり、内部は繋がっている。
女人禁制のGolgotha内部の聖人のレリーフ(上)、3教会の構造(下)。
・11教会で最もミステリアスな構造をしていると言われるのが、この3教会。内部で繋がっている
・ゴルゴサ教会より奥は女人禁制。ゴルゴサにはSaint John, Saint Stephen, Saint George とSaint Kirkosといったエチオピア正教会の聖人たちのレリーフがある。
・ゴルゴサ(イエス・キリストが処刑された地)を想って造られた教会で、角ばった建造物には形の違う窓が3つあり「三位一体」を、くりぬかれたクロスは「キリスト」を表現している。
・Processional cross(伝統的な由緒ある十字架)のいくつかがある。
・ゴルゴザ教会の窓だけアクスム様式と少し異なる(ゴルゴザ様式)。
・司祭によると、三位一体教会がラリベラ王の墓らしい
・Bet Golgotha に接続した小さな教会がSellassie(=Trinity 、もっとも奥にある)
第一グループの終わり
Tomb of Adam(アダムの墓)があり、大きい石に十字架が掘ってある。アダムの墓の奥には、ウラエルの教会(洞窟のようなもので、11教会に含まれない)がある。アダムの墓を抜けると第一グループが終わる。
ティグライ ハウゼン旅行のいろいろ
教会のこと以外にもHAWZEN(ハウゼン)旅行について、付け足しします。
ティグライ州へ
まずはメケレ空港へ(アディスから飛行機で一時間程度)。そこから車で2時間程度いくとハウゼン地区に着きます。今回は全行程でランクルを借りて移動しましたが、ミニバス移動も可能だと思います。
ガイドを雇う
岩窟教会群は1つ1つが離れているのと、危険な箇所があるので、ガイドを雇ったほうがいいです。ハウゼン地区にはガイドオフィスがあるので、そこでガイドを雇います。一日単位の契約で460ブル(=2300円。5人までのグループ)。今回は、3日間同じガイドに頼むことができたので、スムーズな旅になりました。
チップ制度
海外にいると日本人の頭を悩ませるのがチップ制度です。エチオピアで普段生活している分にはチップ文化はあまり感じられませんが、観光地にいくと途端にチップを求めてきます。我々はボランティアで来ていて生活費もたいしたことはないので、100ブルとか最小限のチップを渡すと、少ない!という顔をされたり言われたりします。うちの同僚の日給より高いのに。チップってなんなんでしょうと思ってしまう…。
欧米人のツアー客が多いのも関係しているようですが、各教会に行くたびに荷物を持つ、手伝うと言って後からチップを請求してくる人たちがたくさんいたので、手伝いがいらないならはっきり言った方がいいです。ガイドに伝えてもらうのも良いと思います。
おすすめの宿 Gheralta Lodge
写真左から右まで全てロッジの敷地。部屋は全て離れになっている。農園などでは野菜を栽培していた。
今回はハウゼンの街中から車で15分くらいのGheralta lodgeというところに泊まりました。エチオピアではかなりクオリティの高いロッジです。日本でいったら星野リゾート的な雰囲気?でしょうか(いったことないですが)。イタリア人オーナーが経営していて、非常にきれい、食事は美味しいイタリアンと本当に良い時間を過ごせました。繁盛期と閑散期で宿泊費が代わるというところもエチオピアでは珍しいですね。雨期の7月は一番安い時期で、一泊ツインで1200ブル(=6000円)でした。高い時期は倍以上するようです。
エチオピアにいることを忘れるほどのロッジでした。夕食は前菜からデザートまでコースで出てきます。