Tana-mar.blog

エチオピアの首都アディスアベバにて、理科教師として活動する青年海外協力隊員のブログです。

ラリベラと日本人/その他ラリベラのこと 「ラリベラの岩窟教会 Hewn-Rock churches in Lalibela」(3/3)

ラリベラと日本人

 ラリベラでは「こんにちは」「お元気ですか」「こんばんは」「ようこそラリベラへ」「私の名前は・・・」など日本語で話しかけてくるエチオピア人がいます。最近は中国の建設関係者が多いおかげで前よりは少なくなったのが残念ですが、それでも日本人だと分かると話しかけてきます。私の知る限り、エチオピアで最も日本語を話す地域ではないでしょうか。

 それはなぜか。ラリベラで植林活動をしている日本人女性がいるからです。「フー太郎の森基金」という基金で11年間で35万本の植林を行っています。地方部では電気の供給不足により熱源・建築材のために伐採が進み、森林の減少がエチオピア全土の問題となっています。同じように一時期9割の森林を失っていたラリベラの森林を復活させたのもので、現地スタッフの日本人も働いていたといいます。そのおかげで、これほどまでに日本語を話せるエチオピア人が増えたのです。

 

その他 ラリベラのこと

ヨルダン川の十字架

教会と同じように、川の周囲の岩を掘って十字架を作ってある。

 

アシェトンマリアム礼

・11教会から離れ、最も難易度が高いのが、アシェトンマリアムだ。これは3200mの山の上に作られた教会で、イメージとしては11教会よりもティグライの岩窟教会群に近い。

・1000年前に作られ、その当時のゲエズ語で書かれた聖書がある。また、聖人が住んでいた家(洞窟のようなところ)も見せてもらえる。

・昔はロバで3時間という時代もあったらしいが、現在は道が整備され、車(三輪のトゥクトゥクかタクシー)で近くまでいくことが出来る。入場料が別途200ブルかかる。15分程度登ると着くので危険ではないが、雨の後だと厳しい箇所がある。

 

チケットとガイド

・チケットは11教会の共通券。50ドル(USD)。ブルだとその日のレートで変わる(1200ブル前後)。ビデオだけなぜか別途で料金がかかる。カメラは何も言われない。かなり高いが5日間有効で、11教会すべてに入れるので便利。昔はバックパッカーが何人かで使い回しをしていたようだが、最近になってパスポート番号を書かされるようになったので、不可能になった模様。チケットオフィスはきっちり昼食休憩をとるので、12時から14時は空いていないので注意。同じく教会も昼は司祭がいないことが多いので、おとなしく昼ご飯を食べるのが無難。

・ガイドは空港やチケットオフィス周辺、またホテルに常駐している。もし頼むならホテル常駐の人がいいかもしれない。一応英語が出来る。一日300ブルくらい。ガイドがなくても回れるが、第二グループの入り口が分かりづらいのと、ガイドがいれば司祭がいろいろ聖書や十字架などを見せてくれる場面が多いなど、多少の利点がある。各教会の近くには必ず説明板があるので、ガイドがストレスになるという人はつけなくても良いと思う。

 

ラリベラのホテルとレストラン

ホテル 

Red Rock、Jelsaremはきれいでホットシャワーも出る。Ral hotel and spaは、伝統的なTukulという形の家を模した部屋できれいだが、私が泊まった時はホットシャワーが出なかった。時期によっては寒いかもしれない。

レストラン

Seven Olives、Loha hotel、Ral hotel and spa、Ben abebaなどが美味しい。Seven olivesはインジェラは美味しいがパスタやハンバーガーなどはローカルに近い。Loha Hotelは元政府系ホテルでご飯がおいしい。たぶん部屋もいいけど予約が取りづらい。チキンピカタとFish golush(メニュー外)はオススメ。Ben abebaは坂の上からさらに上にあるスイス人オーナーのレストランで、ご飯も美味しいし眺めがとてもいい。建物が異様に奇抜なので行くだけでも面白いかも。Ral hotelはホットシャワーが出なかったのが残念だが、首都で修行したというシェフの料理はどれも美味しい。

 

付録:窓の様式

 ラリベラ岩窟教会群の窓の形は、ある程度きれいに残っており様式は比較的容易に判別できる。Axum様式とは、アクスム王国の時代に建てられたオベリスクの頂部の形を模している。Golgotha様式はAxum様式の変形。ギリシャ様式はそのまま名前の如く、ギリシャ十字の形をしている。他にも様々な形の窓が掘ってあり、比較するのも面白い。

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左からAxum様式 Golgotha様式 ギリシャ様式(2つ)

 

「ラリベラの岩窟教会 Hewn-Rock churches in Lalibela」(2/3)

Group2South-east

 第二グループに続きます。ヨルダン川から南にありますが、第一グループと違って入り口が非常に分かりづらい。

 

1と2、Bet Gabriel and Rufael (Church of Saints Gabriel and Raphael;聖ガブリエル教会、聖ラファエル教会)

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外観は1つの教会だが、内部は2つの教会に分かれる。

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堀を深くしてあり、要塞や監獄のよう(左)。堀の下には、地下貯水地に続くと思われる井戸が見える。

 

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教会側から見た回廊(上)と回廊側から見た教会(下)。

 

・入り口は同じだが、2つの部屋に分かれている。橋から向かって左がGabriel、右がRaphael

・教会は、要塞のような外観で、アクスム様式。元々は教会ではなく、王家の住居か監獄だったとも言われている。

・教会の脇には、天国の階段がある。

・回廊下に見える井戸のようなものの地下には貯水池があるらしい。

・現在は回廊側から橋を渡って教会へ行くことが出来るが、本来の通路ではなく後に作られたもの。元々はAmanuel側からの通路を造る計画やさらに大きな教会を造る計画を記した図面が残っている。

 

3、Bet Abba Libanos (Church of Abba Libanos;聖アバ・リバノス教会)

Raphaelを正面に見て右手に進んで、裏手に回って行くとLibanosが見えてくる。個々が一番分かりづらい。

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・4方は他の教会と同じように掘ってあるが、天井が周囲の岩盤と繋がっているのが特徴。

・靴を脱げば、周囲を回ることが出来る。

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LibanousからAmanuelへはこのような回廊や地下通路を通らなければならない。最後は、右下写真の穴をくぐって行く。

 

4、Bet Amanuel (Church of Saint Emmanuel;聖アマニュエル教会)

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・maryamと共に最も古いと言われる教会

・最も美しいとされており、かつて王家の礼拝堂だったと考えられている。

・外壁は、水平と垂直のラインが強調した凹凸が施され、窓の形はアクスム様式。

・教会内部は、身廊と側廊にはアーチ型天井が架かっており、初期キリスト教会の建築様式との共通点が見られる。

・マルコリスと35mのトンネルで繋がっているらしい。

 

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 AmanuelからMarkoriosへ続く通路。

 

5、Bet Merkorios (Church of Saint Mercurios;聖マルコリオス教会)

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後ろに見える屋根はアマニュエルのもの。

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聖人マルコリオス。黒い馬にまたがって戦う姿が描かれる。敵は様々。

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壁画が残るが、目を凝らさないと見えないほどに退色している。

 

・8本の荒く削られた柱が特徴。

・柱に壁画が残っている。

・この教会の入り口付近には、地下道への入り口がある。本当に暗いので、ライトが必要。この地下道を抜けるとGroup2が終わる。教会群は地下15mに位置するので、礼拝しやすいように地下道で繋がっているらしい。「天国への道」(天井が抜けて空が見える道)や「地獄の道」(地下道となっている)などと呼ばれている。

  

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地下道を抜けると最終的にこのBethlehemの塔に出る。

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その後も色々と通って最終的にこの通路から外に出て第二グループが終了。 

 

 

 

 

Group 3

Bet Giyorgis (Saint Giyorgis;聖ギョルギス教会) 

第一グループとは道を挟んで反対側に位置する。

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高台からのGiyorgis教会。

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下から見上げた教会。

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聖人ギョルギス。白馬にまたがった姿でドラゴン退治の場面が描かれる。エチオピア正教会では、女性をドラゴンから守った伝説のため、女性が木の上に逃げている姿なども同時に描かれる(他の正教会とは場面の解釈が異なる)

 

・最も有名で、保存状態がよい。

・12x12mの屋根は三重の十字架がほってある。

・教会内部には柱がなく、十字形の箱のようになっており、「ノアの箱船」を象徴しているともいわれる。

ヨルダン川北に1つだけ、11教会の中でも離れた場所に作られている。これには言い伝えが残っていて、教会群の建造も終盤に差し掛かっていた頃、ラリベラ王の夢枕にSt.Giyorgis(正教会の聖人)が現れ、「私の教会はどこだ?」と質問し、ラリベラ王が「あなたにふさわしい教会を作りましょう」と約束した後に建造を始めたのがこのSt.giyorgis教会。このような理由で最後に建造したので、1つだけ離れた場所にあると言われている。

・13世紀初めに作られ、最も新しいと考えられている。

ギリシャ十字、アクスム様式。窓はGolgotha様式に見える。

・親切なことに?、高台に登ると上から見ることが出来る。教会の北西には、岡が見えるが、これは土曜マーケットの会場となっている。

 

 

エチオピアが誇る世界遺産 岩窟教会群 「ラリベラの岩窟教会群 Rock-Hewn Churches in Lalibela」(1/3)

世界遺産への登録

 「ラリベラの岩窟教会群」はエチオピア北部のラリベラという町にある世界文化遺産。1978年(第2回世界遺産委員会)から登録が始まった世界遺産だが、なんとこのラリベラは最初に登録された12遺産のうちの1つ。ちなみに、「シミエン国立公園」も1978年に登録されており、最初の12遺産のうち2つがエチオピアからの選出だったのは驚きだ。

 さらに、1978年に登録見送りされた15件のうち9件がエチオピアの物件で、エチオピアが初期から世界遺産登録に積極的だったことが伺える(AU本部があるので、その影響もなきにしもあらずか?)。現在、文化遺産8と自然遺産1の計9件が登録されており、南アフリカ共和国とモロッコと並んでアフリカで最も世界遺産をもつ国となっている(日本は21件)。

 

ラリベラの歴史と岩窟教会群

 エチオピア北部のアクスム王国(紀元後1世紀〜10世紀頃、現エリトリアを含む紅海南部沿岸に位置)の衰退により、ラリベラ王はロハに遷都を行った。ロハの町は王の名をとって、ラリベラと呼ばれるようになった。イスラム教の拡大により聖地エルサレムへの巡礼が困難になったことからラリベラ王はこの地に「第二のエルサレム」を作ることを決意。その証拠に、ヨルダン川と名付けられた川が流れている。

 岩窟教会はエチオピア正教会の巡礼のために12〜13世紀頃に作られ、世界遺産に登録されている岩窟教会群は「11教会」として区別される。全て地面を下方向に掘って完全な建物の形をした教会を作っているMonolithic型(詳しくはティグライの岩窟教会群にかんする記事を参照)。

 「11教会」は第一グループ(北西グループ、ヨルダン川北)と第二グループ(南東グループ、ヨルダン川南)、そしてSt.Giyorgis教会(第三グループとも)に分けられる。

 

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Group1 (North-west)

 第一グループをチケットオフィスから近い順(道順)に示す。

1、Bet Medhane Alem (Church of the World Saviour;聖救世主教会)

チケットオフィスから最も近い場所にある。

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人の大きさと比べるとその大きさが分かる。

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窓はアクスム様式とギリシャ様式。赤い外壁も一部残っている。

・11教会の中でもっとも大きい。33.7 m(l)x 23.5 m(w)x 11.5 m(h)

アクスムにあるシオンの聖マリア教会を模して造られたとされる

・内部に空の棺が3つあり、聖書に登場するアブラハム・イサグ・ヤコブのものとされている

・内部は28本の柱で支えられている

・19世紀に修復された。その際、外壁を赤色で塗ったが今も北側にその一部が残っている

・非常に貴重な13世紀の書物が発見されている

 

2、Bet Maryam (Church of Mary;聖マリア教会)

聖救世主教会正面入り口から数mのトンネルを通るとMaryamが見えてくる。

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小さいがきれいな教会

・Maryamは聖母マリアの意。13x9x10m。

・12世紀から13世紀に装飾が施された。Group1では唯一色のついた壁画がある

・三つの玄関があり、東側の玄関は動物や花などが掘ってある。双頭のワシが掘られている箇所もある。

・人類発祥と週末を象徴する壁画の柱「Pillar of Light」がある(布が巻いてあるので見られない)

・キリスト昇天、ゴルゴザでの受難、三位一体のフレスコ画などがある

・最も信仰を集めていて、ティムカット祭でも多くの人が集まる

・聖救世主教会からは地下道でつながっているらしい

・プールは子宝を恵むとされていて、女性が水浴びをする

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内部は装飾がきれいに残っている(左)。"Pillar of Light"(右) 

 

 

3、4 Bet Meskel (Church of the Cross;聖十字架教会)、Bet Danagel (Bet Ghel、Church of the Virgins;聖処女教会)

 

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聖十字架教会

Maryamの北側がMeskel、南側がDanagel。Danagelは11教会で最も荒削りな教会。

 

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Danagel側の通路を抜けると、第一グループ最後の教会への道が見えてくる。階段を下りて右手に進む。

 

 5、Bet Debre sina-Mikael (聖ミカエル教会)and Bet  Golgotha(聖ゴルゴサ教会)Sellassie (Trinity;三位一体教会) Chapel

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正面の立方体の形をしているのがMikael教会。この裏にGolgothaとSellassie教会があり、内部は繋がっている。

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女人禁制のGolgotha内部の聖人のレリーフ(上)、3教会の構造(下)。

 

・11教会で最もミステリアスな構造をしていると言われるのが、この3教会。内部で繋がっている

・ゴルゴサ教会より奥は女人禁制。ゴルゴサにはSaint John, Saint Stephen, Saint George とSaint Kirkosといったエチオピア正教会の聖人たちのレリーフがある。

・ゴルゴサ(イエス・キリストが処刑された地)を想って造られた教会で、角ばった建造物には形の違う窓が3つあり「三位一体」を、くりぬかれたクロスは「キリスト」を表現している。

・Processional cross(伝統的な由緒ある十字架)のいくつかがある。

・ゴルゴザ教会の窓だけアクスム様式と少し異なる(ゴルゴザ様式)。

・司祭によると、三位一体教会がラリベラ王の墓らしい

・Bet Golgotha に接続した小さな教会がSellassie(=Trinity 、もっとも奥にある)

 

第一グループの終わり

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 Tomb of Adam(アダムの墓)があり、大きい石に十字架が掘ってある。アダムの墓の奥には、ウラエルの教会(洞窟のようなもので、11教会に含まれない)がある。アダムの墓を抜けると第一グループが終わる。

ティグライ ハウゼン旅行のいろいろ

教会のこと以外にもHAWZEN(ハウゼン)旅行について、付け足しします。

ティグライ州へ

 まずはメケレ空港へ(アディスから飛行機で一時間程度)。そこから車で2時間程度いくとハウゼン地区に着きます。今回は全行程でランクルを借りて移動しましたが、ミニバス移動も可能だと思います。

 

ガイドを雇う

 岩窟教会群は1つ1つが離れているのと、危険な箇所があるので、ガイドを雇ったほうがいいです。ハウゼン地区にはガイドオフィスがあるので、そこでガイドを雇います。一日単位の契約で460ブル(=2300円。5人までのグループ)。今回は、3日間同じガイドに頼むことができたので、スムーズな旅になりました。

 

チップ制度

 海外にいると日本人の頭を悩ませるのがチップ制度です。エチオピアで普段生活している分にはチップ文化はあまり感じられませんが、観光地にいくと途端にチップを求めてきます。我々はボランティアで来ていて生活費もたいしたことはないので、100ブルとか最小限のチップを渡すと、少ない!という顔をされたり言われたりします。うちの同僚の日給より高いのに。チップってなんなんでしょうと思ってしまう…。

 欧米人のツアー客が多いのも関係しているようですが、各教会に行くたびに荷物を持つ、手伝うと言って後からチップを請求してくる人たちがたくさんいたので、手伝いがいらないならはっきり言った方がいいです。ガイドに伝えてもらうのも良いと思います。

 

おすすめの宿 Gheralta Lodge

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写真左から右まで全てロッジの敷地。部屋は全て離れになっている。農園などでは野菜を栽培していた。

 今回はハウゼンの街中から車で15分くらいのGheralta lodgeというところに泊まりました。エチオピアではかなりクオリティの高いロッジです。日本でいったら星野リゾート的な雰囲気?でしょうか(いったことないですが)。イタリア人オーナーが経営していて、非常にきれい、食事は美味しいイタリアンと本当に良い時間を過ごせました。繁盛期と閑散期で宿泊費が代わるというところもエチオピアでは珍しいですね。雨期の7月は一番安い時期で、一泊ツインで1200ブル(=6000円)でした。高い時期は倍以上するようです。

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エチオピアにいることを忘れるほどのロッジでした。夕食は前菜からデザートまでコースで出てきます。

ティグライ州の岩窟教会群 Rock-Hewn Churches in Tigray

Tigray Regional state  Rock-Hewn Churches

 エチオピア北部にあるエリトリアとの国境の州、ティグライ州には岩山を掘って創った岩窟教会群がある。ティグライ州の160の岩窟教会群は地域によってGheralta、Axum、Take tesfae、Atubi、Tewbe、Wkuroの6つのクラスターに分類される。

 教会を山の上に作った理由はというと…

 ・天国に近い。

 ・静か。

 ・敵に発見されない。

 ・崩れない(土質の問題で山の上の方が砂が少ない)。

 さらに岩窟教会の種類は、Monolithic、Semi-Monolithic、Cave(洞窟)の三つに分けられる。Monolithicは一枚岩の意。Monolithicは屋根まで完全に建物の形に掘ってあるもの。Semi-Monolithicは、崖などを横方向に掘っていって教会を創ったもので、屋根まで岩を掘っていないもの。Caveはもともとあった洞窟等を利用して、柱なども作らず教会として利用したもの。世界遺産で有名なLalibelaラリベラの岩窟教会群Monolithicに分類される。

 

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 このような険しい山の上に岩窟教会がある(多くは標高2500 m以上)。

 

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岩窟教会の3パターン。右2つは柱なども含めて構造全てが一枚岩から出来ている。

 

Abune Yemata

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 今回の旅でもっとも危険だったのが、Abune Yemata。片道1時間程度はかかる。途中、傾斜80度前後の10mの絶壁を上る必要があるので、なかなか厳しい。ガイドに事前に頼めば有料で命綱を貸してくれる(150ブル)。

 

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ガイドたちはスルスル登って行く。

 

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こんな崖を登ってくる。

 

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崖づたいに歩いていると入り口が現れる。

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この教会では、装飾が比較的明瞭に残っていた。

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青い馬に乗っている人物は片目のみ、白い馬の人物は両目を描いてある。片目のみの人物は悪人として描かれている。

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茶色の馬の人物(聖人)の下にいる黄色い人物は、嘘をついたために犬の頭にされてしまった。エチオピア正教会の教えでは嘘は大罪であり、分からないことは分からないというんだ、とガイドが自分に?言い聞かせていた。

 

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司祭は十字架や聖書(ゲエズ語という古いエチオピアの文字で書かれている)を見せてくれる。

 

 

 

Abraha We Atsbeha

 

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30分以内で見学可能。ここはほとんど登山をしない。

兄弟によって4世紀に建てられた。11世紀にペイントが修復された。ペイントはもとは岩にダイレクトにされていたが、修復後は布にペイントをしたものを岩壁に貼っている。

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装飾は非常に多彩で見応えがある。右下の十字架の柱には、悪魔が教会を壊そうとしたため入り口付近の柱に十字架を掘ったという逸話が残っている。

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 鈴(左)は5枚の金属板から成り、キリストが5本杭を打たれたのを記憶するためのもの。太鼓も司祭が実際に演奏してくれた。現地人ガイドと一緒だといろいろと見せてもらえる機会が増える。

 

Maryam Korkor and Daniel Korkor

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 片道一時間半はかかる。途中でロープは必要ないが、かなりの傾斜を登る。ゲラルタエリアで最も有名なものの1つ。korkorは村の名前で、岩を掘る音が由来。4世紀に兄弟によって作られた。Gheraltaは up and downの意味。Maryam korkorは、女性用入り口と男性用入り口が分かれている。6世紀に装飾が施された。

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 岩の間を通ったり(左)、岩の崖を登ったりして大変だが、頂上付近からの眺めはかなりいい。f:id:Tana_mar:20170803035822j:plain

11本の大きな柱がある。柱の四隅が削ってあり、1本の柱を4本としてカウントするので、合計44本の柱があるらしい。

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儀式で使う線香の煙や水蒸気で、天井の装飾が薄くなっている。お墓として今でも埋葬に訪れる人がいる程に信仰を集めている。一番使用感?のある教会のように思えた。

 

 Daniel korkorはMaryam korkorを裏手に少し回ると行ける。11世紀に建てられ、16世紀に再度ペイントされた。ダニエル死後、聖水が枯れたという逸話がある。Danielにタボットはなく、Maryamに一緒に置かれているらしい。

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崖に突然入り口が現れる。スピーカーはお祈りの時間に司祭の声を流すため。

 

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比較的遅く修復されたためか、他の教会と装飾のタッチが異なる。

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ダニエルが祈りを捧げた椅子が掘られている(上)。白馬にはギョルギス(下)。青馬にはテオドロス。

Petro Paulos

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山の中腹に見える白い建物がPetro Paulos。

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 30分以内で見学可能。途中、木製のハシゴを上る必要があり、少し怖いかもしれない。

 今回紹介する岩窟教会では唯一のCave(洞窟)教会。4世紀に作られ、16世紀に支柱などが修復された。タボット(契約のアークのレプリカ)を静置する部屋がむき出しで、その代わりにタボットに白い布が撒かれている。

 

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無造作に組まれた、いかにもエチオピアらしい木製ハシゴ。

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右上が布で撒かれたタボット。岩で掘られた柱などはない。

 

Addi Kusho

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 1時間以内で見学可能。見どころは、木製の鍵で、代々受け継がれる技らしく、司祭ひとりしかあけることができない。4世紀に創られ、他の教会と違うのは色がつかずシンボルだけ掘られている点。

 

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鍵を見せる司祭(左)とガイド(右)

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上は三位一体を表す彫刻。この教会ではどの彫刻にも色はついていない。

 

Hawzen merket

 Hawzenの町で水曜日のみ開かれるマーケット。普段、首都アディスアベバで生活している私から見ても町中に売っているものの種類や量は圧倒的に少ない。地方の町では、一カ所にこのようなマーケットを設けて、市民がものを売ったり、逆に買って行ったりする。周辺の町からからも来ているようだ。

 

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地方のマーケットでは大きな規模のように感じた。

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売っているものはスパイス、生活用品、伝統的な布・衣装、野菜、コーヒー豆。野菜はトマト、キャベツ、ニンニク、タマネギなどで種類は首都に比べてかなり少なく、サイズも小さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

半年を経た同僚の成長(山形新聞記事から)

山形新聞への寄稿

 山形新聞への2回目(10月22日/2016年)と3回目(5月13日/2017年)の寄稿記事を紹介します。2回目の記事は紹介を忘れていたので、同時になってしまいました。

 2年目になるとグループ活動のウエイトが大きくなってしまって、どちらの記事もグループ活動関連の記事になっています。エチオピアの学校は、10月から始まって6月まで続くので、図らずも小学校の授業期間を挟んで記事を書くことが出来ました。

 10月(学期の始まり)に「現地の教師にも教壇に立ってもらって、エチオピア人同士で授業研究会を開催し、生徒実験が広がっていくようにしたい」と、実際に5月(学期の終わり近く)には「私の同僚が講師として手を挙げてくれ、講師も参加者もエチオピア人という授業研究会が実現した」と書いていて、思ったように活動が進まない中でも、方向性としては間違っていない、意図した方向に進んでいるんだと、感じることが出来ました。

 2年目には、約半年の間に10サブシティ(区のようなもの)で授業研究会を開催するというハードなスケジュールの中、同僚と研究会用の授業の打ち合わせや指導案作成をし、なんとか形にすることができました。エチオピア人にとって、詳しい指導案を書くのはもちろん、参加者がいる中で授業を行うという経験はなかったので、改善点はかなり多かったです。その中で記事に書けないような苦労や衝突もありましたが、それでも確かに2年間の同僚の成長と自信を感じられる活動ができていたことは私自身も嬉しく思います。

 山形新聞様のおかげで、このように発信する機会を得られて非常に嬉しく思います。

 

 

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植民地化を免れた戦い ー アドワの戦い Battle Of Adwa

アドワの戦い Battle Of Adwa

 今週3月1日は、「アドワの戦い記念日」ということで、エチオピアは祝日でした。アドワの戦いとは、第一次エチオピア戦争中の1896年、イタリアの侵攻を退けた戦いです。実際には、その後の第二次エチオピア戦争で敗れ、1936年から1941年、5年間だけイタリアの支配下に入ります。 

イタリアの面影 

 生活しているとイタリアの名残が所々あるように思います。

イタリア料理

 唯一、現地の庶民的なレストランでも食べられる海外の食べ物というのが、イタリア料理です。首都や地方の主要都市では、ピザやラザニアパスタが食べられます。特に、パスタはよく食べられていて、インジェラエチオピアの主食)にパスタを乗せる食べ方をしています。バルバレという辛いスパイスが大量に入っていることが多いのと、炭水化物と炭水化物の組み合わせなので、日本人の評判はあまりよくありません。。しかし、ピザは日本より美味しいんじゃないかと思うくらいのお店もいくつかあります。

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 ピザ               パスタとインジェラ

 

イタリア語

 首都や地方都市では、「マルカート」(イタリア語で市場)、「ピアッサ」(広場)という地名をよく聞きます。首都のマルカートは、東アフリカ最大の市場と言われ、生活用品から電気・工具などなんでも安く手に入ります。一部のガイドブックにも載っている通り、迷宮のような雰囲気があり、スリも多く、旅行者だけでは絶対にいけないと思います。しかし、本当に様々なものが売っているので、理科隊員も実験・教材用の材料を買いに行っています。変わったものだと、棒状の硫黄、岩塩、鉱物、空き瓶(リサイクル)、革製品用の皮、なんかがあります。現地の人は、一般人より業者が多い印象です。

 挨拶でも、知人と会ったとき、分かれる時には、「Ciao」(チャオ)を使うことが多いです。もちろん、アムハラ語(エチオピアの言語)にも挨拶はあるのですが、Ciaoは現地の人も本当によく使います。

 また、Rの発音が巻き舌になります。「ハンバーガー」は「ハンバルガル」、「スポーツ」は「スポルト」になります。 

 

アフリカで唯一、植民地化を免れた国

 話がそれましたが、、、このように植民地に編入された史実・そしてイタリアの面影はあるのですが、アドワの戦いによって、「エチオピアは欧州列強による植民地化を回避することができたと評価」(wikipedia)されています。これがエチオピア人の大きな誇りとなっています。

 

アドワの戦い - Wikipedia

 

 実際、エチオピアには独自の文字「ゲエズ文字(フィダル)」が残っており、独自の文字が廃れてアルファベット表記が多いアフリカ諸国の中では、非常に珍しい存在で、誇るべき文化の1つだと僕は思います。このように他のアフリカ諸国に比べると、やはり植民地化による影響は少ないのだろうと感じます。