ティグライ州の岩窟教会群 Rock-Hewn Churches in Tigray
Tigray Regional state Rock-Hewn Churches
エチオピア北部にあるエリトリアとの国境の州、ティグライ州には岩山を掘って創った岩窟教会群がある。ティグライ州の160の岩窟教会群は地域によってGheralta、Axum、Take tesfae、Atubi、Tewbe、Wkuroの6つのクラスターに分類される。
教会を山の上に作った理由はというと…
・天国に近い。
・静か。
・敵に発見されない。
・崩れない(土質の問題で山の上の方が砂が少ない)。
さらに岩窟教会の種類は、Monolithic、Semi-Monolithic、Cave(洞窟)の三つに分けられる。Monolithicは一枚岩の意。Monolithicは屋根まで完全に建物の形に掘ってあるもの。Semi-Monolithicは、崖などを横方向に掘っていって教会を創ったもので、屋根まで岩を掘っていないもの。Caveはもともとあった洞窟等を利用して、柱なども作らず教会として利用したもの。世界遺産で有名なLalibelaラリベラの岩窟教会群はMonolithicに分類される。
このような険しい山の上に岩窟教会がある(多くは標高2500 m以上)。
岩窟教会の3パターン。右2つは柱なども含めて構造全てが一枚岩から出来ている。
Abune Yemata
今回の旅でもっとも危険だったのが、Abune Yemata。片道1時間程度はかかる。途中、傾斜80度前後の10mの絶壁を上る必要があるので、なかなか厳しい。ガイドに事前に頼めば有料で命綱を貸してくれる(150ブル)。
ガイドたちはスルスル登って行く。
こんな崖を登ってくる。
崖づたいに歩いていると入り口が現れる。
この教会では、装飾が比較的明瞭に残っていた。
青い馬に乗っている人物は片目のみ、白い馬の人物は両目を描いてある。片目のみの人物は悪人として描かれている。
茶色の馬の人物(聖人)の下にいる黄色い人物は、嘘をついたために犬の頭にされてしまった。エチオピア正教会の教えでは嘘は大罪であり、分からないことは分からないというんだ、とガイドが自分に?言い聞かせていた。
司祭は十字架や聖書(ゲエズ語という古いエチオピアの文字で書かれている)を見せてくれる。
Abraha We Atsbeha
30分以内で見学可能。ここはほとんど登山をしない。
兄弟によって4世紀に建てられた。11世紀にペイントが修復された。ペイントはもとは岩にダイレクトにされていたが、修復後は布にペイントをしたものを岩壁に貼っている。
装飾は非常に多彩で見応えがある。右下の十字架の柱には、悪魔が教会を壊そうとしたため入り口付近の柱に十字架を掘ったという逸話が残っている。
鈴(左)は5枚の金属板から成り、キリストが5本杭を打たれたのを記憶するためのもの。太鼓も司祭が実際に演奏してくれた。現地人ガイドと一緒だといろいろと見せてもらえる機会が増える。
Maryam Korkor and Daniel Korkor
片道一時間半はかかる。途中でロープは必要ないが、かなりの傾斜を登る。ゲラルタエリアで最も有名なものの1つ。korkorは村の名前で、岩を掘る音が由来。4世紀に兄弟によって作られた。Gheraltaは up and downの意味。Maryam korkorは、女性用入り口と男性用入り口が分かれている。6世紀に装飾が施された。
岩の間を通ったり(左)、岩の崖を登ったりして大変だが、頂上付近からの眺めはかなりいい。
11本の大きな柱がある。柱の四隅が削ってあり、1本の柱を4本としてカウントするので、合計44本の柱があるらしい。
儀式で使う線香の煙や水蒸気で、天井の装飾が薄くなっている。お墓として今でも埋葬に訪れる人がいる程に信仰を集めている。一番使用感?のある教会のように思えた。
Daniel korkorはMaryam korkorを裏手に少し回ると行ける。11世紀に建てられ、16世紀に再度ペイントされた。ダニエル死後、聖水が枯れたという逸話がある。Danielにタボットはなく、Maryamに一緒に置かれているらしい。
崖に突然入り口が現れる。スピーカーはお祈りの時間に司祭の声を流すため。
比較的遅く修復されたためか、他の教会と装飾のタッチが異なる。
ダニエルが祈りを捧げた椅子が掘られている(上)。白馬にはギョルギス(下)。青馬にはテオドロス。
Petro Paulos
山の中腹に見える白い建物がPetro Paulos。
30分以内で見学可能。途中、木製のハシゴを上る必要があり、少し怖いかもしれない。
今回紹介する岩窟教会では唯一のCave(洞窟)教会。4世紀に作られ、16世紀に支柱などが修復された。タボット(契約のアークのレプリカ)を静置する部屋がむき出しで、その代わりにタボットに白い布が撒かれている。
無造作に組まれた、いかにもエチオピアらしい木製ハシゴ。
右上が布で撒かれたタボット。岩で掘られた柱などはない。
Addi Kusho
1時間以内で見学可能。見どころは、木製の鍵で、代々受け継がれる技らしく、司祭ひとりしかあけることができない。4世紀に創られ、他の教会と違うのは色がつかずシンボルだけ掘られている点。
鍵を見せる司祭(左)とガイド(右)
上は三位一体を表す彫刻。この教会ではどの彫刻にも色はついていない。
Hawzen merket
Hawzenの町で水曜日のみ開かれるマーケット。普段、首都アディスアベバで生活している私から見ても町中に売っているものの種類や量は圧倒的に少ない。地方の町では、一カ所にこのようなマーケットを設けて、市民がものを売ったり、逆に買って行ったりする。周辺の町からからも来ているようだ。
地方のマーケットでは大きな規模のように感じた。
売っているものはスパイス、生活用品、伝統的な布・衣装、野菜、コーヒー豆。野菜はトマト、キャベツ、ニンニク、タマネギなどで種類は首都に比べてかなり少なく、サイズも小さい。
半年を経た同僚の成長(山形新聞記事から)
山形新聞への寄稿
山形新聞への2回目(10月22日/2016年)と3回目(5月13日/2017年)の寄稿記事を紹介します。2回目の記事は紹介を忘れていたので、同時になってしまいました。
2年目になるとグループ活動のウエイトが大きくなってしまって、どちらの記事もグループ活動関連の記事になっています。エチオピアの学校は、10月から始まって6月まで続くので、図らずも小学校の授業期間を挟んで記事を書くことが出来ました。
10月(学期の始まり)に「現地の教師にも教壇に立ってもらって、エチオピア人同士で授業研究会を開催し、生徒実験が広がっていくようにしたい」と、実際に5月(学期の終わり近く)には「私の同僚が講師として手を挙げてくれ、講師も参加者もエチオピア人という授業研究会が実現した」と書いていて、思ったように活動が進まない中でも、方向性としては間違っていない、意図した方向に進んでいるんだと、感じることが出来ました。
2年目には、約半年の間に10サブシティ(区のようなもの)で授業研究会を開催するというハードなスケジュールの中、同僚と研究会用の授業の打ち合わせや指導案作成をし、なんとか形にすることができました。エチオピア人にとって、詳しい指導案を書くのはもちろん、参加者がいる中で授業を行うという経験はなかったので、改善点はかなり多かったです。その中で記事に書けないような苦労や衝突もありましたが、それでも確かに2年間の同僚の成長と自信を感じられる活動ができていたことは私自身も嬉しく思います。
山形新聞様のおかげで、このように発信する機会を得られて非常に嬉しく思います。
植民地化を免れた戦い ー アドワの戦い Battle Of Adwa
アドワの戦い Battle Of Adwa
今週3月1日は、「アドワの戦い記念日」ということで、エチオピアは祝日でした。アドワの戦いとは、第一次エチオピア戦争中の1896年、イタリアの侵攻を退けた戦いです。実際には、その後の第二次エチオピア戦争で敗れ、1936年から1941年、5年間だけイタリアの支配下に入ります。
イタリアの面影
生活しているとイタリアの名残が所々あるように思います。
イタリア料理
唯一、現地の庶民的なレストランでも食べられる海外の食べ物というのが、イタリア料理です。首都や地方の主要都市では、ピザやラザニア、パスタが食べられます。特に、パスタはよく食べられていて、インジェラ(エチオピアの主食)にパスタを乗せる食べ方をしています。バルバレという辛いスパイスが大量に入っていることが多いのと、炭水化物と炭水化物の組み合わせなので、日本人の評判はあまりよくありません。。しかし、ピザは日本より美味しいんじゃないかと思うくらいのお店もいくつかあります。
ピザ パスタとインジェラ
イタリア語
首都や地方都市では、「マルカート」(イタリア語で市場)、「ピアッサ」(広場)という地名をよく聞きます。首都のマルカートは、東アフリカ最大の市場と言われ、生活用品から電気・工具などなんでも安く手に入ります。一部のガイドブックにも載っている通り、迷宮のような雰囲気があり、スリも多く、旅行者だけでは絶対にいけないと思います。しかし、本当に様々なものが売っているので、理科隊員も実験・教材用の材料を買いに行っています。変わったものだと、棒状の硫黄、岩塩、鉱物、空き瓶(リサイクル)、革製品用の皮、なんかがあります。現地の人は、一般人より業者が多い印象です。
挨拶でも、知人と会ったとき、分かれる時には、「Ciao」(チャオ)を使うことが多いです。もちろん、アムハラ語(エチオピアの言語)にも挨拶はあるのですが、Ciaoは現地の人も本当によく使います。
また、Rの発音が巻き舌になります。「ハンバーガー」は「ハンバルガル」、「スポーツ」は「スポルト」になります。
アフリカで唯一、植民地化を免れた国
話がそれましたが、、、このように植民地に編入された史実・そしてイタリアの面影はあるのですが、アドワの戦いによって、「エチオピアは欧州列強による植民地化を回避することができたと評価」(wikipedia)されています。これがエチオピア人の大きな誇りとなっています。
実際、エチオピアには独自の文字「ゲエズ文字(フィダル)」が残っており、独自の文字が廃れてアルファベット表記が多いアフリカ諸国の中では、非常に珍しい存在で、誇るべき文化の1つだと僕は思います。このように他のアフリカ諸国に比べると、やはり植民地化による影響は少ないのだろうと感じます。
エチオピア 「非常事態宣言」
久しぶりの更新です。実に8ヶ月ぶりです。いろいろ忙しくしていましたが、もう活動期間も残り7ヶ月程度になり、ブログでも頻度を上げて紹介していこうと思います。
エチオピアの非常事態宣言
リオオリンピックのマラソンで、銀メダルを獲得したエチオピア代表のリレサ選手が抗議のポーズでゴールしたのをテレビで見た人も多かったと思います。
部族間のデモが多発したり、外国人が投石でなくなったり、工場が焼き討ちにあったりと反政府運動が活発になっていましたが、10月に「非常事態宣言」が出されました。簡単に言うと、反政府デモや部族間の争いが頻発したことにより、その沈静化を図るための政府の政策です。非常事態宣言以降、政府によって数万人の逮捕者が出たり、銃による弾圧が続いています。半年間を予定しているようですが、延長もあるようです。
(1) 政治的メッセージの禁止
(2) 一部地域での通信遮断の可能性
(3) 集会やデモ,団体行動,組織活動の制限
(4) 裁判所令状なしの逮捕や家宅捜索
(5) 車両や身体のランダムな検査
(6) 一部地域での外出禁止の可能性
このうち、JICAボランティアに直接の影響があったのは、
・渡航制限の変更
の点です。
渡航制限変更による影響
非常事態宣言内に、外交官の移動規制が入っていたので、外務省・JICA職員は影響を直接受けました。また、各地でのデモを考慮し、外務省がエチオピアの危険情報(渡航制限)を引き上げました。日本人・JICAは基本的にこれに従う必要があります。JICAボランティアにも影響があり、これまで活動していた地域で活動できなくなり、エチオピア隊員の約半数が地方から首都に退避しました(実際に、危ない目にあった隊員もいましたが、幸いにも無事でした)。首都に退避し、渡航可能になるのを待っていましたが、結局、非常事態宣言が継続され、デモも収まらなかったため、任地変更を行いました。首都隊員の僕には想像することしかできないので、あまり多くは触れません。これまで長い時間をかけて関係を築いてきた任地を離れるのは辛かったと思いますが、新たな任地、または日本で再び活躍できると信じています。
ネット規制
渡航制限に比べると影響は小さいですが、通常通り活動していた首都隊員にとって、痛かったのが首都を中心に行われたネット規制です。まず、エチオピアのネット事情ですが、お世辞にも良いとは言えません。途上国で使えるだけ幸せですが。Wifiルーター(四角い端末)やUSB型の差し込む端末を使って、PCか携帯電話で使っています。料金は月毎に払うプリベイド式で、4G回線の8GBで1200ブル(約6000円)です。ちなみに、日本の料金を調べたら12GBで2760円でした…。
それが突然、(月初めの3日か4日に)この端末が使えなくなりました。幸いにも電話は使用できました。エチオピアには、通信会社が一社しかなく独占状態で、政府が通信規制をかけることも容易なようです。なぜネット規制をするのかというと、Facebookなどで反政府感情が広がったり、デモの様子、または政府がデモを弾圧している様子を拡散させたくないからです。
Wifi端末は規制されたのですが、比較的大きい、外国人が利用するようなホテルでは、ネットが使えることが多かったです(Facebook等のSNSはVPNを使わないと繋がらない)。ただ、わざわざホテルにいかないとメールの確認も出来ないなんて、とても不便でしたし、ホテルのロビーを利用するにもなにか注文しないといけないので、時間的にも経済的にもストレスでした。理数科セミナーなどの活動のために、どうしてもホテルに行く回数が増えてしまい、任地変更を強いられた隊員に比べたら微々たるものですが、エチオピアのために活動しているのに、なぜこんなに苦労するんだろう・・・と何度も思いました。
悪いことばかりではない・・・
12月中旬にネット規制は解除されましたが、またいつ規制されるかわかりませんし、外務省は渡航制限を継続しています。このような非常事態宣言も悪いことばかりではなく、政府が国民の意思を汲み取って、この国がよりよくなっていくための争い・混乱だと見ることもできるのではないでしょうか(これは関係者の言葉ですが)。「よりよく」というのはどういう状態・環境になったら「よりよい」なのか、難しい問題ですが、少なくとも外国人が口を出す問題ではありません。この国がどんな選択をするのか、次に起こることをしっかりと見ていく必要があると思います。
残りの活動をほどほどに頑張りつつ、安全第一で過ごしたいと思います。
Science Show 〜活動紹介その1
久しぶりの更新になります。ここ数ヶ月は活動も充実していました。学校での通常の活動に加え、①研究授業会と②サイエンスショーを活動先外で行っていました。今回はサイエンスショーについて紹介します。
サイエンスショーとは
科学的な原理を含んだマジックや視覚的に面白い実験などを生徒や教師にむけてショーとして行うものです。
・セミナー費が必要ない!
・頭を使わない!(隊員も生徒も)
このように、子どもたちにとっても、普段の授業よりもリラックスして気楽に見ていられるので楽しい時間になっていたようです。この活動を通して、子どもの理科に対する関心が高まっていったら私たちの活動は大成功です。(逆に、統一試験の勉強には直接は役立たないので、JICAボランティアの勝手な活動だと思って見ている教師がいることも事実だろうと思います。。)
実験紹介
首都アディスアベバの隊員5人と地方アセラの隊員2人でグループとしてサイエンスショーを行うことが多いです。特にシニアボランティア2人の知識量は本当に多く、勉強になります。ちょっとしたコツを習得するのにみんなで議論したり、練習したりすることも多く、チームとして非常にいい状態だと感じています。
今回はアセラの小学校(隊員の配属先)で実施しました。初めはイスに座って静かだった生徒たちが、ショーの後半には身を乗り出し、よく見える教室前方に移動してきていたのが印象的でした。
同期隊員と私の様子。左上から時計回りに、落ちないピンポン球、準備をする同期、封筒の中の文字を透視するマジック、電気文字、空き缶クラッシュ。
左上から時計回りに、炎色反応、マグデンブルグの半球、ニトロセルロースの燃焼、真剣に見つめる生徒の様子、電気クラゲに挑戦する生徒、アルコールロケット。
その他にも、
・文字の炙り出し(みかん汁で文字を書いて、炎であぶり出す)
・静電気で浮かぶシャボン玉
・ストロー笛
・雲を作る実験
・アンモニア噴水
・アサガオ指示薬(アサガオの汁が赤、青、黄色、緑、紫と変わります)
・帰ってくるブーメラン
など、たくさんの実験を行いました。
エチオピアの学校に思うこと
久しぶりの更新です。派遣から半年が経とうとしています。活動も忙しくなってきてなかなか時間を取れませんでしたが、また再開したいと思います。私は首都の学校に配属されて理科実験の指導を行っています。私の学校の一日を紹介します。
高学年校舎。平屋立ての校舎が多い。 トタン屋根なので、雨の日は先生の声が聞こえないこともある。
エチオピアの学校の一日
8:20 フラッグセレモニー
8:30-9:15 1限目
9:15-10:00 2限目
10:00-10:45 3限目
10:45-11:00 中休み・・・子どもたちはだいたいここでお弁当を食べる。
11:00-11:45 4限目
11:45-12:30 5限目
12:30-13:30 昼休み
13:30-14:15 6限目
14:15-15:00 7限目
アディスの学校は普通7限までしかありませんが、うちの学校は特殊で、月水金曜日は8、9限目まであります。朝のフラッグセレモニーは、エチオピアの人たちが非常に大事にしているもので、国旗の掲揚が始まると歩いている人もピタッと止まって、国旗掲揚に参加します。
エチオピアの小学校にはGrade1から8までの子どもたちが在籍しています。日本では小学1年生から中学2年生に相当する子どもたちです。1クラスの人数は多く、50から60人ほどです。落第制度もあり、学年末の成績が悪いと進級できないこともあります。そのため、明らかに年齢の異なる子どもたちが同じ教室で授業を受けていたりします。
思うこと
約半年エチオピアの学校を見てきて感じたことを書きます。少しネガティブな内容が多いですが、エチオピアの現状として見て頂ければと思います。
1、業間休みがない
これはエチオピアの学校の大きな課題かと思いますが、業間の休みはありません。前後の移動に5分使うとしたら授業時間は正味35分になります。これでは、授業を作るのは難しく、ましてや理科実験を行うとなるとほとんど授業になりません。
2、課外活動がない
多くの学校では、クラブ活動や課外活動は一般的ではありません。私が小学・中学生の頃は課外活動が大好きでしたから、こちらでは生徒にそういう機会が与えられないのは残念です。生徒指導・課外活動に労力を費やすという教師の意識はないように思います。
3、教師のモチベーション
エチオピアの学校の課題は何と言っても教師のモチベーションの低さにあります。授業がない時の遅刻早退は当たり前で、職員室で寝転がっている先生もいるくらいです。しかし、これには大きな原因があります。それは、教師の賃金の安さです。日本円では1万2千円ほどしかありません(その1/4から半分は家賃でなくなる)。日本では、聖職とも言われ、中間層以上の社会的地位・賃金が確保されていると思いますが、この国の教師はおそらく下層に位置します。そのため、教師は次の職までのステップアップでしかなく、長く続ける教師はあまりいません。転職が多いのでノウハウが蓄積されていかない原因にもなっています。これではモチベーションが上がらないのも当然だろうと思いつつ、教育がしっかりしないと国の成長はあり得ないと思うので、政策として教師の待遇改善がなされるのを期待します。
こんな一日を送っています。元私立学校ということもあり、エチオピアの学校としてはかなり恵まれた環境にあります。色々と日本と違うことで大変な時もありますが、なんとか適応して活動しています。
新校舎は割ときれい。首都アディスでは、4から5階の高層建て校舎も見られる。
新校舎の教室内。一応、蛍光灯があるが、つかない。