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エチオピアの首都アディスアベバにて、理科教師として活動する青年海外協力隊員のブログです。

エチオピア 「非常事態宣言」

 

 久しぶりの更新です。実に8ヶ月ぶりです。いろいろ忙しくしていましたが、もう活動期間も残り7ヶ月程度になり、ブログでも頻度を上げて紹介していこうと思います。 

 

エチオピアの非常事態宣言

 リオオリンピックのマラソンで、銀メダルを獲得したエチオピア代表のリレサ選手が抗議のポーズでゴールしたのをテレビで見た人も多かったと思います。 

CNN.co.jp : エチオピアのマラソン選手、抗議のポーズでゴール リオ五輪 - (1/2)

 

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 部族間のデモが多発したり、外国人が投石でなくなったり、工場が焼き討ちにあったりと反政府運動が活発になっていましたが、10月に「非常事態宣言」が出されました。簡単に言うと、反政府デモや部族間の争いが頻発したことにより、その沈静化を図るための政府の政策です。非常事態宣言以降、政府によって数万人の逮捕者が出たり、銃による弾圧が続いています。半年間を予定しているようですが、延長もあるようです。 

エチオピア 非常事態宣言の主な内容 | 日本橋夢屋

(1)  政治的メッセージの禁止
(2)  一部地域での通信遮断の可能性
(3)  集会やデモ,団体行動,組織活動の制限
(4)  裁判所令状なしの逮捕や家宅捜索
(5)  車両や身体のランダムな検査
(6)  一部地域での外出禁止の可能性

 

 このうち、JICAボランティアに直接の影響があったのは、

渡航制限の変更

ネット規制

の点です。

 

渡航制限変更による影響

 非常事態宣言内に、外交官の移動規制が入っていたので、外務省・JICA職員は影響を直接受けました。また、各地でのデモを考慮し、外務省がエチオピアの危険情報(渡航制限)を引き上げました。日本人・JICAは基本的にこれに従う必要があります。JICAボランティアにも影響があり、これまで活動していた地域で活動できなくなり、エチオピア隊員の約半数が地方から首都に退避しました(実際に、危ない目にあった隊員もいましたが、幸いにも無事でした)。首都に退避し、渡航可能になるのを待っていましたが、結局、非常事態宣言が継続され、デモも収まらなかったため、任地変更を行いました。首都隊員の僕には想像することしかできないので、あまり多くは触れません。これまで長い時間をかけて関係を築いてきた任地を離れるのは辛かったと思いますが、新たな任地、または日本で再び活躍できると信じています。

 

ネット規制

 渡航制限に比べると影響は小さいですが、通常通り活動していた首都隊員にとって、痛かったのが首都を中心に行われたネット規制です。まず、エチオピアのネット事情ですが、お世辞にも良いとは言えません。途上国で使えるだけ幸せですが。Wifiルーター(四角い端末)やUSB型の差し込む端末を使って、PCか携帯電話で使っています。料金は月毎に払うプリベイド式で、4G回線の8GBで1200ブル(約6000円)です。ちなみに、日本の料金を調べたら12GBで2760円でした…。

 それが突然、(月初めの3日か4日に)この端末が使えなくなりました。幸いにも電話は使用できました。エチオピアには、通信会社が一社しかなく独占状態で、政府が通信規制をかけることも容易なようです。なぜネット規制をするのかというと、Facebookなどで反政府感情が広がったり、デモの様子、または政府がデモを弾圧している様子を拡散させたくないからです。 

 Wifi端末は規制されたのですが、比較的大きい、外国人が利用するようなホテルでは、ネットが使えることが多かったです(Facebook等のSNSVPNを使わないと繋がらない)。ただ、わざわざホテルにいかないとメールの確認も出来ないなんて、とても不便でしたし、ホテルのロビーを利用するにもなにか注文しないといけないので、時間的にも経済的にもストレスでした。理数科セミナーなどの活動のために、どうしてもホテルに行く回数が増えてしまい、任地変更を強いられた隊員に比べたら微々たるものですが、エチオピアのために活動しているのに、なぜこんなに苦労するんだろう・・・と何度も思いました。

 

悪いことばかりではない・・・ 

 12月中旬にネット規制は解除されましたが、またいつ規制されるかわかりませんし、外務省は渡航制限を継続しています。このような非常事態宣言も悪いことばかりではなく、政府が国民の意思を汲み取って、この国がよりよくなっていくための争い・混乱だと見ることもできるのではないでしょうか(これは関係者の言葉ですが)。「よりよく」というのはどういう状態・環境になったら「よりよい」なのか、難しい問題ですが、少なくとも外国人が口を出す問題ではありません。この国がどんな選択をするのか、次に起こることをしっかりと見ていく必要があると思います。

 残りの活動をほどほどに頑張りつつ、安全第一で過ごしたいと思います。

Science Show 〜活動紹介その1

 久しぶりの更新になります。ここ数ヶ月は活動も充実していました。学校での通常の活動に加え、①研究授業会と②サイエンスショーを活動先外で行っていました。今回はサイエンスショーについて紹介します。

サイエンスショーとは  

 科学的な原理を含んだマジックや視覚的に面白い実験などを生徒や教師にむけてショーとして行うものです。

・セミナー費が必要ない!

・頭を使わない!(隊員も生徒も)  

 このように、子どもたちにとっても、普段の授業よりもリラックスして気楽に見ていられるので楽しい時間になっていたようです。この活動を通して、子どもの理科に対する関心が高まっていったら私たちの活動は大成功です。(逆に、統一試験の勉強には直接は役立たないので、JICAボランティアの勝手な活動だと思って見ている教師がいることも事実だろうと思います。。)

 

実験紹介  

 首都アディスアベバの隊員5人と地方アセラの隊員2人でグループとしてサイエンスショーを行うことが多いです。特にシニアボランティア2人の知識量は本当に多く、勉強になります。ちょっとしたコツを習得するのにみんなで議論したり、練習したりすることも多く、チームとして非常にいい状態だと感じています。

 今回はアセラの小学校(隊員の配属先)で実施しました。初めはイスに座って静かだった生徒たちが、ショーの後半には身を乗り出し、よく見える教室前方に移動してきていたのが印象的でした。

 

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 同期隊員と私の様子。左上から時計回りに、落ちないピンポン球、準備をする同期、封筒の中の文字を透視するマジック、電気文字、空き缶クラッシュ。

 

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 左上から時計回りに、炎色反応、マグデンブルグの半球、ニトロセルロースの燃焼、真剣に見つめる生徒の様子、電気クラゲに挑戦する生徒、アルコールロケット。

 

その他にも、

・文字の炙り出し(みかん汁で文字を書いて、炎であぶり出す)

・静電気で浮かぶシャボン玉

・ストロー笛

・雲を作る実験

アンモニア噴水

アサガオ指示薬(アサガオの汁が赤、青、黄色、緑、紫と変わります)

・帰ってくるブーメラン

など、たくさんの実験を行いました。

 

 

 

 

 

山形新聞への寄稿

 派遣5ヶ月目で依頼のあった地元山形の山形新聞への寄稿をしました。現状をまとめた文章ですので、県外の人にも紹介させてください。こうやってブログは書いていますが、実際に紙面で掲載してもらって自分の活動のことを報告できる場は少ないので、非常にありがたい機会でした。

 

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エチオピアの学校に思うこと

 久しぶりの更新です。派遣から半年が経とうとしています。活動も忙しくなってきてなかなか時間を取れませんでしたが、また再開したいと思います。私は首都の学校に配属されて理科実験の指導を行っています。私の学校の一日を紹介します。

 

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高学年校舎。平屋立ての校舎が多い。 トタン屋根なので、雨の日は先生の声が聞こえないこともある。

エチオピアの学校の一日

8:20    フラッグセレモニー

8:30-9:15  1限目

9:15-10:00   2限目

10:00-10:45    3限目

10:45-11:00   中休み・・・子どもたちはだいたいここでお弁当を食べる。

11:00-11:45    4限目

11:45-12:30    5限目

12:30-13:30 昼休み

13:30-14:15    6限目

14:15-15:00 7限目

 

 アディスの学校は普通7限までしかありませんが、うちの学校は特殊で、月水金曜日は8、9限目まであります。朝のフラッグセレモニーは、エチオピアの人たちが非常に大事にしているもので、国旗の掲揚が始まると歩いている人もピタッと止まって、国旗掲揚に参加します。 

 エチオピアの小学校にはGrade1から8までの子どもたちが在籍しています。日本では小学1年生から中学2年生に相当する子どもたちです。1クラスの人数は多く、50から60人ほどです。落第制度もあり、学年末の成績が悪いと進級できないこともあります。そのため、明らかに年齢の異なる子どもたちが同じ教室で授業を受けていたりします。

 

思うこと

 約半年エチオピアの学校を見てきて感じたことを書きます。少しネガティブな内容が多いですが、エチオピアの現状として見て頂ければと思います。 

1、業間休みがない

 これはエチオピアの学校の大きな課題かと思いますが、業間の休みはありません。前後の移動に5分使うとしたら授業時間は正味35分になります。これでは、授業を作るのは難しく、ましてや理科実験を行うとなるとほとんど授業になりません。

2、課外活動がない

 多くの学校では、クラブ活動や課外活動は一般的ではありません。私が小学・中学生の頃は課外活動が大好きでしたから、こちらでは生徒にそういう機会が与えられないのは残念です。生徒指導・課外活動に労力を費やすという教師の意識はないように思います。

3、教師のモチベーション

 エチオピアの学校の課題は何と言っても教師のモチベーションの低さにあります。授業がない時の遅刻早退は当たり前で、職員室で寝転がっている先生もいるくらいです。しかし、これには大きな原因があります。それは、教師の賃金の安さです。日本円では1万2千円ほどしかありません(その1/4から半分は家賃でなくなる)。日本では、聖職とも言われ、中間層以上の社会的地位・賃金が確保されていると思いますが、この国の教師はおそらく下層に位置します。そのため、教師は次の職までのステップアップでしかなく、長く続ける教師はあまりいません。転職が多いのでノウハウが蓄積されていかない原因にもなっています。これではモチベーションが上がらないのも当然だろうと思いつつ、教育がしっかりしないと国の成長はあり得ないと思うので、政策として教師の待遇改善がなされるのを期待します。

 

 こんな一日を送っています。元私立学校ということもあり、エチオピアの学校としてはかなり恵まれた環境にあります。色々と日本と違うことで大変な時もありますが、なんとか適応して活動しています。

 

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新校舎は割ときれい。首都アディスでは、4から5階の高層建て校舎も見られる。

 

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新校舎の教室内。一応、蛍光灯があるが、つかない。 

 

明けましておめでとうございます。エチオピアは2008年です。

 エチオピアに来て3ヶ月。日本をはじめ世界的には2016年になりました。ここエチオピアはどうかというと…2008年です。今回は、独特のエチオピア暦とエチオピア時間を紹介します。

エチオピア暦

 エチオピアでは、西暦ではなく「エチオピア暦」が採用されています。エチオピアは現在、2008年です(2016年現在)。

 エチオピアにはエチオピア正教会という宗派があって、キリスト生誕の解釈が違うためにこのような8年ほどの差が生じています。西暦では1月から12月までですが、エチオピアでは1〜12月が30日ずつ。そして、なんと13月があるのです。しかも、13月は5または6日間だけ。これがエチオピア暦です。エチオピアの元旦は夏で、西暦でいうと9月11日。クリスマスは1月8日です。

 例えば、タクシーの領収書をもらう時に、なんにも言わないと2008年と書かれます。 僕は西暦でお願いしますって言って、2015年と2008年が混ざって2018年と書かれたこともあります。

 

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 大きく書いてある方がエチオピア暦、小さい右下の表示が西暦。

 

エチオピア時間

 ある日、「9時に待ち合わせをしよう!」と言ったとします。 エチオピア人はたぶん午後3時にくるでしょう。なぜか?独特の12時間制のエチオピア時間なるものが存在するからです。(時差とかそういうのではないです。)

 インターナショナル時間の午前9時は、エチオピア時間では3時。エチオピアでは午前6時を0時として午後6時までの12時間が1サイクル目。午後6時にまたエチオピア時間の0時にもどって、次の日の朝6時まで2サイクル目が続きます。

 待ち合わせをする時にはエチオピア時間かインターナショナル時間かしっかりと確認しろとよく言われます。実際にはインターナショナル時間で確認しても、勘違い?によって待ち合わせができない、ということがあります。。 なので、待ち合わせは「次の土曜日の3時(インターナショナルの午前9時)ね」という具合にエチオピア時間に合わせるようにしています。 

 

 こんな感じで全く年末感も新年感もない、年越しをしました。来週にはエチオピアのクリスマスが待っています。エチオピアでは貴重なチキンのワットを食べる風習があります(果たして僕は食べることができるのか…)。エチオピアはアフリカ最古の独立国と言われ、ほとんど植民地支配を受けていないことで有名です。まだまだ独特の文化があります。今後もいろいろな文化を紹介できればと思います。

エチオピアの主食、インジェラ

  エチオピアの主食はクレープのように薄く広げて焼いたインジェラです。 クレープというと美味しそうに聞こえますが、非常に酸味が強く、インジェラを知る日本人からは「ぞうきん」と呼ばれ恐れられて?います。

 我々27年度2次隊もエチオピア到着直後に意気揚々とインジェラを食べましたが、予想よりも酸味が強く、正直、今後が思いやられました。 しかし、1週間後には「あれ、ちょっとうまいんじゃね?」となり、約2ヶ月が経った今、配属先での昼食は毎日インジェラを食べています。酸味に慣れてしまえば、一緒に食べるワット(後述)の味を楽しむ余裕もでき、非常に美味しく感じています。

インジェラの作り方

 作り方は結構、簡単です。ホームステイで教えてもらった伝統的な方法を紹介します。数日分はまとめて作って専用の容器に入れて保存します。

①テフと呼ばれる穀物をすりつぶして粉にする。

②テフの粉を水で溶いて、イーストを加え約3日間発酵させる。

③その液をインジェラ焼き機に広げて焼く。  

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上段:インジェラ用の鉄板でインジェラを作る様子。現在は電気の焼き機もある。

下段:焼き上がったインジェラ。出来上がりは黄色だが、時間が経つと灰色になる。

   インジェラの目(穴)が出来るように焼くらしい。

 

インジェラのおかずと食べ方

 インジェラは、ワットと呼ばれるおかず?(シチュー)と一緒に食べるのが一般的です。大きいインジェラを端から千切って、それでワットを巻いて口に運びます。基本的には右手だけでこの動作を行います。インジェラはビタミンが豊富ですが、ワットの方は油の量がかなり多く健康にはあまり良くないようです。それから、基本的になんでもバルバレと呼ばれる唐辛子を粉にしたものを料理に入れるので、結構辛いです。

主なワットの種類

・バイヤイナット(野菜を中心に色々な具材がのったもの)

・フルフル(インジェラを千切ってワットに入れたもの)

・ティブス(牛肉を焼いてソースと和えたもの)

・シュロ(豆の煮込み)

・クットフォー(牛の生肉と大量のバターで和えたもの、特別な場面に出されるらしい)

番外編

・パスタ(ミートソース、パスタを少し短く切って、インジェラで巻いて食べます)

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左上から時計回りに、バイヤイナット、フルフル、ティブス、シュロ、クットフォー、パスタ。

チャイナ!ニーハオ!と呼ばれる国

エチオピアに来て約1ヶ月。この国で歩いていると必ず、チャイナ!ニーハオ!と子どもから声をかけられる(たまに大人も)。

エチオピアにいるアジア人 

 エチオピアの首都にいるアジア人は、中国、韓国、日本が主だ。日本はJICA関係者、ボランティアや援助企業。 韓国はKOICAのボランティア等、中国は援助企業など(まだ詳しくないので正確ではない)。このように、アジア人は中国人だけではないのに、なぜチャイナと呼ばれるのか。

 チャイナと呼ばれる理由

 これには、アジア人の顔が似ているだけではない大きな理由がある(と思う)。エチオピアには中国の作った鉄道、高速道路や舗装道路がたくさんあるアフリカ連合AU)の本部はエチオピアにあるのだが、その本部の建物も中国の支援で建設されている。エチオピア人たちの中には、中国によって自分たちの生活が便利になっているという実感があるのだと思う。逆に言うと、日本の援助の影響が強ければ、中国人も韓国人もJAPAN!と呼ばれていたのかもしれない。日本も協力隊は40年以上の歴史があるし、専門的にも多くの援助をしているはずだが、それだけ中国のインパクトが強いのだろうと思う。 

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首都はもちろん、地方に行っても整備された道路が見られるようになっている。

呼ばれたらなんと答えるか

 では、チャイナ!と呼ばれたらどうするか。人によっては"チャイナあいだらふん!ジャパナウィー!(中国人じゃない、日本人だ!)"と言って訂正する人もいる。僕もたまには訂正するが、挨拶だけして無視することも多い。正直に言うと、いちいち訂正するのは面倒なことも多い。 だけど、中国人ではないし、なにより日本人がボランティアに来ているんだよってことを示すためにも、現地の人に理解してもらうためのちょっとした説明の努力も必要なのだと思っている。こうやって毎日チャイナチャイナと呼ばれていると、中国の世界に対する影響力が垣間見えてちょっと悔しい気持ちになる。 自分たちも頑張らなくちゃなあ、と感じる。

 

 ちなみに、宿泊地周辺のお店の人に聞いてみると、日本人は現地語を話そうとするから好感が持てるということを言っていた。この国の先輩JICAボランティアが現地に入り込んで生活している証だろうと思った。

 正式な配属まで1週間。せめて自分の配属先周辺では、JAPAN!と呼んでもらえるように活動を頑張っていきたいと思う。

 

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首都アディスアベバは、高層ビルが建ち並び、近代化が著しい。