明けましておめでとうございます。エチオピアは2008年です。
エチオピアに来て3ヶ月。日本をはじめ世界的には2016年になりました。ここエチオピアはどうかというと…2008年です。今回は、独特のエチオピア暦とエチオピア時間を紹介します。
エチオピア暦
エチオピアでは、西暦ではなく「エチオピア暦」が採用されています。エチオピアは現在、2008年です(2016年現在)。
エチオピアにはエチオピア正教会という宗派があって、キリスト生誕の解釈が違うためにこのような8年ほどの差が生じています。西暦では1月から12月までですが、エチオピアでは1〜12月が30日ずつ。そして、なんと13月があるのです。しかも、13月は5または6日間だけ。これがエチオピア暦です。エチオピアの元旦は夏で、西暦でいうと9月11日。クリスマスは1月8日です。
例えば、タクシーの領収書をもらう時に、なんにも言わないと2008年と書かれます。 僕は西暦でお願いしますって言って、2015年と2008年が混ざって2018年と書かれたこともあります。
大きく書いてある方がエチオピア暦、小さい右下の表示が西暦。
エチオピア時間
ある日、「9時に待ち合わせをしよう!」と言ったとします。 エチオピア人はたぶん午後3時にくるでしょう。なぜか?独特の12時間制のエチオピア時間なるものが存在するからです。(時差とかそういうのではないです。)
インターナショナル時間の午前9時は、エチオピア時間では3時。エチオピアでは午前6時を0時として午後6時までの12時間が1サイクル目。午後6時にまたエチオピア時間の0時にもどって、次の日の朝6時まで2サイクル目が続きます。
待ち合わせをする時にはエチオピア時間かインターナショナル時間かしっかりと確認しろとよく言われます。実際にはインターナショナル時間で確認しても、勘違い?によって待ち合わせができない、ということがあります。。 なので、待ち合わせは「次の土曜日の3時(インターナショナルの午前9時)ね」という具合にエチオピア時間に合わせるようにしています。
こんな感じで全く年末感も新年感もない、年越しをしました。来週にはエチオピアのクリスマスが待っています。エチオピアでは貴重なチキンのワットを食べる風習があります(果たして僕は食べることができるのか…)。エチオピアはアフリカ最古の独立国と言われ、ほとんど植民地支配を受けていないことで有名です。まだまだ独特の文化があります。今後もいろいろな文化を紹介できればと思います。
エチオピアの主食、インジェラ
エチオピアの主食はクレープのように薄く広げて焼いたインジェラです。 クレープというと美味しそうに聞こえますが、非常に酸味が強く、インジェラを知る日本人からは「ぞうきん」と呼ばれ恐れられて?います。
我々27年度2次隊もエチオピア到着直後に意気揚々とインジェラを食べましたが、予想よりも酸味が強く、正直、今後が思いやられました。 しかし、1週間後には「あれ、ちょっとうまいんじゃね?」となり、約2ヶ月が経った今、配属先での昼食は毎日インジェラを食べています。酸味に慣れてしまえば、一緒に食べるワット(後述)の味を楽しむ余裕もでき、非常に美味しく感じています。
インジェラの作り方
作り方は結構、簡単です。ホームステイで教えてもらった伝統的な方法を紹介します。数日分はまとめて作って専用の容器に入れて保存します。
①テフと呼ばれる穀物をすりつぶして粉にする。
②テフの粉を水で溶いて、イーストを加え約3日間発酵させる。
③その液をインジェラ焼き機に広げて焼く。
上段:インジェラ用の鉄板でインジェラを作る様子。現在は電気の焼き機もある。
下段:焼き上がったインジェラ。出来上がりは黄色だが、時間が経つと灰色になる。
インジェラの目(穴)が出来るように焼くらしい。
インジェラのおかずと食べ方
インジェラは、ワットと呼ばれるおかず?(シチュー)と一緒に食べるのが一般的です。大きいインジェラを端から千切って、それでワットを巻いて口に運びます。基本的には右手だけでこの動作を行います。インジェラはビタミンが豊富ですが、ワットの方は油の量がかなり多く健康にはあまり良くないようです。それから、基本的になんでもバルバレと呼ばれる唐辛子を粉にしたものを料理に入れるので、結構辛いです。
主なワットの種類
・バイヤイナット(野菜を中心に色々な具材がのったもの)
・フルフル(インジェラを千切ってワットに入れたもの)
・ティブス(牛肉を焼いてソースと和えたもの)
・シュロ(豆の煮込み)
・クットフォー(牛の生肉と大量のバターで和えたもの、特別な場面に出されるらしい)
番外編
・パスタ(ミートソース、パスタを少し短く切って、インジェラで巻いて食べます)
左上から時計回りに、バイヤイナット、フルフル、ティブス、シュロ、クットフォー、パスタ。
チャイナ!ニーハオ!と呼ばれる国
エチオピアに来て約1ヶ月。この国で歩いていると必ず、チャイナ!ニーハオ!と子どもから声をかけられる(たまに大人も)。
エチオピアにいるアジア人
エチオピアの首都にいるアジア人は、中国、韓国、日本が主だ。日本はJICA関係者、ボランティアや援助企業。 韓国はKOICAのボランティア等、中国は援助企業など(まだ詳しくないので正確ではない)。このように、アジア人は中国人だけではないのに、なぜチャイナと呼ばれるのか。
チャイナと呼ばれる理由
これには、アジア人の顔が似ているだけではない大きな理由がある(と思う)。エチオピアには中国の作った鉄道、高速道路や舗装道路がたくさんある。アフリカ連合(AU)の本部はエチオピアにあるのだが、その本部の建物も中国の支援で建設されている。エチオピア人たちの中には、中国によって自分たちの生活が便利になっているという実感があるのだと思う。逆に言うと、日本の援助の影響が強ければ、中国人も韓国人もJAPAN!と呼ばれていたのかもしれない。日本も協力隊は40年以上の歴史があるし、専門的にも多くの援助をしているはずだが、それだけ中国のインパクトが強いのだろうと思う。
首都はもちろん、地方に行っても整備された道路が見られるようになっている。
呼ばれたらなんと答えるか
では、チャイナ!と呼ばれたらどうするか。人によっては"チャイナあいだらふん!ジャパナウィー!(中国人じゃない、日本人だ!)"と言って訂正する人もいる。僕もたまには訂正するが、挨拶だけして無視することも多い。正直に言うと、いちいち訂正するのは面倒なことも多い。 だけど、中国人ではないし、なにより日本人がボランティアに来ているんだよってことを示すためにも、現地の人に理解してもらうためのちょっとした説明の努力も必要なのだと思っている。こうやって毎日チャイナチャイナと呼ばれていると、中国の世界に対する影響力が垣間見えてちょっと悔しい気持ちになる。 自分たちも頑張らなくちゃなあ、と感じる。
ちなみに、宿泊地周辺のお店の人に聞いてみると、日本人は現地語を話そうとするから好感が持てるということを言っていた。この国の先輩JICAボランティアが現地に入り込んで生活している証だろうと思った。
正式な配属まで1週間。せめて自分の配属先周辺では、JAPAN!と呼んでもらえるように活動を頑張っていきたいと思う。
首都アディスアベバは、高層ビルが建ち並び、近代化が著しい。
First Impression of Ethiopia
ついに、東アフリカはエチオピアに到着しました。初の海外です。 途中でドバイで乗り換えて、初めて踏んだ海外の土はエチオピアのものでした。
10月8日に到着し、簡単なブリーフィングを受けたり、休日を使って首都の様子を観察してます。初の海外ということもあり、とにかく気になることがたくさんありすぎて何から書けば良いか分からないくらいです。でも、逆に比較対象がない分、素直に受け入れられているような気もします。現在は、同期隊員8名とともに首都に滞在しており、今後一ヶ月強の現地語訓練を行う予定です。
本日で5日目です。ネット環境が整っていなくてなかなか更新できませんでした。 エチオピアに来て驚いたことを紹介していこうと思います。
1、あまり陽気ではない
エチオピア人は聞いていた通り、いわゆるアフリカンな陽気さはあまり感じません(偏見かな?)。静かで親切な印象です。植民地支配もほとんど受けていないため、他のアフリカ諸国とは異なる独特の雰囲気を持っているそうです。
2、コーヒー発祥の地
エチオピアはコーヒー発祥の地で、コーヒーの原木があります。コーヒー好きとしてはとても嬉しいです。ここでは現代的なコーヒーと、伝統的なコーヒー(現地語でブンナ)が飲めて楽しいです。
3、過ごしやすい気候
エチオピアの首都、アディスアベバは標高2500mの地点にあり、アフリカといえども朝晩は長袖がないと寒いです。毛布をかけないで寝たら風邪ひきます。高山病の症状が出る人もいるらしいですが、同期でひどい人はいません。 ただ、紫外線は痛いくらい強いので早急に帽子とサングラスを調達する必要がありそうです。
4、インフラがしっかりしている
現在、ある建物で同期と共同生活を送っていますが、水道・ガスは不自由がないし、停電もほとんどありません。
5、治安は悪くない
事務所からは、訓練所でも受けた安全対策と、現地の治安情報の説明が簡単にあった他はあまりうるさく言われませんでした。他のアフリカに比べれば格段に治安がいいということだと思います。
ただ、警察や政治拠点に関しては大変厳しく、カメラを向けただけでも没収されたり、最悪の場合は逮捕されるらしいです。外で写真をとるのは怖いのでもう少し慣れたら写真なども載せられるようになると思います。
6、英語が思ったよりも通じる
一応公用語になっていますが、ほとんど通じないと聞いていました。が、(おそらく首都だから)英語が通じる。現地語はまだ研修が始まっていないので、「やあ!」「いくら?」とか「ありがとう」「○○通りまで乗りたい(バスで)」等のごく簡単な単語しかできないけど、 それでもバスに乗ったり、買い物に行ったり、外食に行ったりと、英語を交えながらなんとかできています。5日目にして。
海外・語学を苦手としていた人間としては驚きで、パーフェクトでなくても伝わるし、生きていけるんだ!、ということを身をもって 感じています。語学は優秀で向上心のある同期に引っ張ってもらってなんとかやっていけそうです。
ありきたりだけど、こうやって写真を撮っていると朝焼けの空はどの国も同じなんだなあ、としみじみ感じます。日本にも繋がっているんだろうなあ。
二本松訓練所の放射線量について
訓練期間中、希望者にはポケット線量計の貸し出しがあり、7/10から測定を開始しました。訓練修了にあたりデータを集計したので、参考までに紹介します。
測定期間: 2015年 7/10から9/16まで
線量計:ポケット線量計 マイドーズミニ PDM-122 日立アロメディカル社
測定条件:二本松訓練所 宿泊棟1階屋内、地上1.5 m位置(木製の棚の上)
毎朝 8時前後の数値を記録(積算モード:リセットせずに積算値を記録)
少し見にくいですが、ざっとグラフにするとこんな感じです。線量計を積算モードで放置し、毎朝同じ時間に測定値を見て用紙に記録する、ということを続けました。積算なので当然前日までの値も含み、数値は上昇し続けます。2ヶ月間を通しておおよそ2 μSv/day(1日あたり)、多い日でも5 μSv/day 程度であり、この値はJICA二本松訓練所が屋外線量として公表している値と同程度でした。時間あたりに換算しても、0.08 ~ 0.2 μSv/h(1時間当たり)程度であり、東京など他の地域と比べるとやはり少し高いですが、基準となる0.23 μSv/h に対しては問題のない値でした。 バーのない日は、電池交換日等で記録できなかった日です。また、新・全国の放射能情報一覧のサイトで全国の放射線量が詳しく調べられます。
二本松訓練所に持っていった荷物について
訓練前にまとめた荷物リストを振り返り、必要だったものや不必要だったものについてまとめました。二本松訓練所はコンビニも遠く不便だと聞いていたので、必要となりそうなものをとにかく持っていきました。最終的に、段ボール2個を訓練所に送り、当日はスーツケース、ボストンバック、バックパックを持って訓練所に入りました。たぶん、荷物は多い方でした。
移動販売が毎週2回あったり、必要になれば、休日を利用して周辺の駅へも行けるし、Amazonも利用できるので、最初の荷物として持っていくものは最小限にした方がいいです。
課業における服装ですが「TPOを考えた格好」とは指定があったものの、ほとんど私服だろって人もいたし、全体的にゆるめでした。僕はスラックス+Yシャツでほとんどの課業を過ごしました。スタッフから注意を受ける人も(たぶん)いなかったし、TPOを考えた服装というとそこまできっちりしない人が多かったようです。
理科実験室について。理科隊員のために実験室の設備について少し。入所案内には詳しく書いてありませんが、二本松にはしっかりした理科実験室がありました(日本でよくみる水道+黒い耐火机)。日本の中学の教科書に載っている実験については基本的に全て出来るくらいの備品と試薬は管理してあります。技術補完研修の案内に「実験に使用する用具は持参可能」という記載があったため、いろいろな物を持っていったのですが、結局使用しませんでした。持っていかなくて良いです。途上国で活動を考えると、理科実験室にあるものすら使わないという気持ちで模擬授業を考えた方がいいと思います。
振り返ってみると、リサイクルは予想以上に便利でした。ハンガー、洗濯・風呂用品、文房具等々が訓練開始日から訓練所内で手に入ります。荷物を少なくしたい人はとりあえずこのリサイクル品を利用するのも良いかと思います。また、8月後半になると長袖がないと朝晩は寒かったです。2次隊以降の方は服装にも注意した方がいいかもしれません。それから、居室のコンセントの位置が微妙だったので延長のOAタップが非常に便利でした。
最後に、僕はコーヒーが趣味でミルで挽いていましたが、精神の安定のために?非常に役立ちました。他には、サッカーボール、ギター、三線などを持ってきている人がいました。趣味がある人は持っていくといいかもしれません。
他にもいろいろ持って行ったような気がしますが、とりあえず記録に残っているものだけ。面倒なので、エクセルの表をそのまま貼ります。
青年海外協力隊、派遣前訓練修了を迎えて
ついに70日間に及ぶ青年海外協力隊、派遣前訓練が修了し、晴れて訓練生から隊員になることができました。エチオピアに理科教師として派遣されます。
僕は自ら協力隊に応募したものの、いまいち踏ん切りがついていないことや、自分が世界に出て何が出来るのだろう、そして海外に行く前にもっと日本でやらなくちゃいけないことがあるのではないか、とずっと考えて過ごしてきました。派遣前訓練中もずっとその疑問と向き合いながら過ごしていました。そのため、スタッフ、訓練生、講座講師など、いろいろな人の話を聞きつつもどこか一歩外から見ていたと言うか、 懐疑的に見ていた節があったなあと思い返しています。協力隊に参加する理由というのは、本当にたくさんあります。その活動を全うすれば、いい加減な理由も崇高な理由もないと個人的には考えています。大事なのは参加した理由ではなく、途上国のために自分が何をやろうとしたか、何ができたか、だと思っています。
今日は訓練修了にあたって考えたことを書きます。僕は国際協力についてあまり興味がなかった人間ですが、協力隊を志してから自分なりに本を読んだりして勉強しました。特にNPO法人宇宙船地球号理事長 山本敏晴さんの著書は国際協力の初心者でも読みやすく、参考になりました。その山本さんの著書に何度も出てくる、僕の大好きな言葉があります。
「人に優しいことをすると、その人が他の人にも優しくしてくれて、やがて世界中に優しさが広がっていく」(山本敏晴)
僕ら青年海外協力隊の活動も似ていると思います。ボランティアの活動は何の意味もない、何も出来ない、税金の無駄遣い、という声を内外から聞きます。僕も一部ではそう思っていますし、訓練を終えて実感しましたが、おそらく僕たちが大きな仕事をすることは難しいでしょう。僕たちは大きく世界を変えることはできないと思います。おそらく同様の気持ちを持っている候補生も多くいたと思います。
しかし、たとえどんなに小さなことでも、どんなに些細な言葉でも、どんなに小さな技術でも僕たちが伝えることに、無意味なことはなに一つないと思っています。 そもそも文化も違う言葉も違う。だから、100%は伝わらなくとも、10でも1でも伝わったらそれで十分だと思います。 そうして伝えたことは確実に相手を変えて、同時に自分たちを変えて何らかの形で世界に広がっていく、そういうことを信じています。僕たちが国に対してではなく、現地の人たちに向けて行う「草の根レベルの活動」というのは、そういうものだろうと思います。
こういう気持ちを根底に持ちながらも、一方で現実的な問題(途上国での生活・活動、相手国に配慮した活動、安全・健康への問題)に対しても理解し、活動をしていかなくてはいけません。その現実的な部分に関して、特に安全・健康への対処は派遣前訓練を通して身につけることが出来たかと思います(座学の講座については正直言って物足りなかったですが)。タフなスケジュールだったし、それなりに苦労しました。僕にとっての派遣前訓練は、その現実的な問題への準備とちょっとした気持ちの整理の時間になったかと思います。いろいろと迷ったり、考えたりすることは多いですが、訓練修了から一晩たったいまは、穏やかな気持ちと決意を持つことが出来ています。